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和田から小宮へ、『文學論』の続きである。


和田:
頁   行     全集     原稿     大型再版
三一三 一三    x = 0         是ハ ゼロデハアリマセン。

小宮: ゼロの方がよささうです

和田:
三一七  五    a のf より b の f を
是は原稿 f’ (中川氏)(次行ノ文ヨリ見テ f’ ト思ヒマス)
(注: たぶん下の小宮の回答を見たあとの和田の追加書き)(再販)ヲ調ベマシタラf’トナツテ居リマス。

小宮: f’ に訂正して下さい

三三六 四    f  f’          f  f”      全に同じ

小宮:  f’

和田:
一四五(第一次143頁) 「男心と秋の空」   「女心と     「男心と
右は再○ で訂正されたものと見るべきですか。(日本の諺は「男」である故に)。

小宮: 男

和田:
一二五 一六    sliding noose
一二六  一    twine
一二六 一 ‐ 二   waver’d in the wind

原○ は何れも先生の赤字にアンダーライン有り。イタリックには非ルカ。

小宮: 是は統一されてイタリツクでなくなつてゐるのでせう。本文中のイタリツクはみな本の名前といふ事になつてゐるのではありませんか。全集のままに願ひます。



和田:
◎第八巻(注:『文學論』『文學評論』)原稿を三秀舎へ渡すべき約束の日が切迫して參りました。文學評論の夏目先生原稿がまだ手に入りませんが、〈「目を遠さな」を削除〉期日を守れば 文學評論は目を通すことができません。よろしきや。

小宮: 原稿がとどかなければ原稿なしで三秀に渡して下さい。さうして原稿がとどいたら夫を参考に校正して下さい。是は瀧田と森田とが、原稿をそのまま事務的にうつしたのだから、大した出入りはない筈です。――猶原稿の儘 ・ をして貰つてください。


和田:
◎文學論大型再版で直された部分が 明確にわかりませんが、当時の正誤表及び大型初版が 御手元におありならば御借いたしたし。

小宮: 大型初版と正誤表とは、再版が出來てから人にやつてしまひました。幸い寺田さんの處にひかえがあるかもしれません。


和田:
◎―Scott, The Lady of the Lake,  Can. V. st. xiv.
  can. は何の略字で御座いますか。

小宮:Canto の略字


和田:
◎ Ibid.  と I (アイ大文字)になつて居りますが、
ibidem  の略字の アイ は大字でよろしいので御座いますか。

小宮: Ibid  の I は大字をつかつても可いやうです。もつとも、ibi - dem  なんかは小文字もつかはれてゐます。


和田:
◎ 市川様に伺ふまでもない處で原稿が見たきため、夏目家〈先生を消す〉の御蔵書中のシェークスピアの コリオラナス が御借いたしたし。御手紙 等々力(とゞろき)君へ 御與へ下さい。
シェレーの原書も 若し大部のものでなければ拝借いたしおきたし。


和田:
全集頁  行
60    -    11           ―Chap.  xx     (赤インキで)C に 大 x に 小
230   -     7           …Dorrit,  chap.  i.   (c  i  の上に 小 を付け、さらに ? )
イタリック 書名のあとは St.  Can.  等皆
大文字が使つてありますが之は如何でせう。

然し

258   -                … , Isabella,  st.  x
118   -                    Memoriam,  St. (S に大) LV.(?  但シ之は6号の大字。)

21    -               pt.(p に 小)V.(大)sec.(s に 小)I.(大) ?


小宮:
是は恐らく市川君の見立済しだらうと思ひます。然し是は一度面倒でも市川君にきいてやつて下さい。60頁と230頁との例がきつと標準になるのではないかと思ひます。もつとも118頁の St.  LV  は或は St.  と標題がついている、258 頁の st. と別な詩題がついてゐないといふやうな区別でもあるのかもしれません。


和田:
◎引用書名が英詩の最終行に組ミ込メルニ係ハラズ、同行ノモノト、別行ノモノトアルノハ何故デ御座ヒマセウカ。
又 別行 ナル塲合、上ノアキ(余白)がマチマチデアルノニ
何カ意味ガアルノデ御座イマセウカ。
右の二件ハ疑問を持タズニ、全集通リニ致シテヨロシ事デゴザイマスカ。

小宮:
引用書名の ’  別行になつてゐるのは組み込めない塲合に限る事になつているのですが、組み込めるのでも別行になつてゐますか。別行にするしないは別に意味はないと思ひます。が、是も念の爲市川君にきいて見て下さい。別行の塲所にアキがメチャメチャになつてゐるのは揃へた方が体裁が可いと思ひます。


和田:
坑夫
五六五=八 全○ 仰向いた時    切○初○ 俯向いた時

右ハ 「…… いた時」 を上の文につけると、下につけるとで  仰向くにも
俯向くにもなります。 全○では 文學上、上へつけて直されたか、或は 大型に夏目先生が手を入れられたのでもあつて 直されたか不明、 御決定を乞ふ。

小宮: 仰向いた時 がよろしかろうと思ひます


和田:
◎文學論
三六八=七 全○ 慈に f を以て  再○ 啻に f を以て  原○ 可に f を以て
                                                    かト思ヒマス (かりに)?
  
小宮: か〔リ〕に


(以上)すみ




〈注: 和田は難解な『文學論』をきちんと読んでいる。質問はまだまだ続く。

和田は、次に25箇所ほどの異同一覧を2回に分けてあげていて、

全(第一次全集)
〈漱石の〉原稿
再(單行本再版) の3種の異同を示しながら、自分の意見を書き込み、小宮の決定を求めている。このうち、その後の歴代の版で意見が分かれているもの数箇所をあげてみる。

(1)
原稿では、〔ことなき〕がなく、
               必ずしも百二十ならざるべからざるは、


を 全 370頁8行では、    必ずしも百二十ならざるべからざることなきは、

としており、小宮は、和田の求めに応じて、
               必ずしも百二十ならざるべからざる〔ことなき〕は、

とする。昭和41年版380頁7行は、これに従っている。

最新の平成7年(1995)版は歴代の版でははじめて原稿のままにしているが、この〔ことなき〕なしで意味が通じるであろうか。むつかしいところではある。


(2)
ちょっとした表記の問題であるが、
原稿で 七五年 となっている箇所。

全  462頁1行 は、 七十五年 と直すが、 再 は、七五年 である。
そこで和田は、 三つの選択肢、 七五年、 七十五年、 七〔十〕五年
をあげて、小宮に決定をゆだねる。小宮は、三つ目を選択する。
昭和41年版466頁4行は、これに従って  七〔十〕五年  としている。
しかし、平成7年(1995)版479頁8行は、 〔 〕をいれないままダイレクトに、 七十五年 としている。


(3)
全 6頁1行では、原稿の 「兩邊」を直して、

a  と b とは共に意識の波の邊端なるなり。

としていて、意味的には、この 全 であるべき箇所。 小宮は、和田の求めに応じて、「邊端」 を選んでいる。

これが、昭和41年版31頁11行では、原稿の
兩邊 にもどり、平成7年(1995)版31頁10行では、 両辺 となっているが、ただし両版共に注が附されている。奇妙なのは、
前者の注が、「縮刷版では 邊端 となっている」
後者の注が、「袖珍本では 辺端 となっている」
と書いているだけで、 全 や小宮らがこれを採用していたことには触れていない。