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昨年夏、時間に余裕があったので、私の手元にある岩波書店初期の漱石全集関連資料を、差し支えのない範囲でウエッブに公開しておきたいと思い、とりあえず、「初校ゲラを通してみた『夏目漱石』」を連載しました。

http://blog.livedoor.jp/sousekitokomiya/

あれからまもなく1年になります。今年は岩波書店創業100周年です。そこでこの夏も、大正と昭和初期の漱石全集に関する未公開資料の紹介と分析を、取捨選択しながら、時間の許すかぎり行っていきたいと考えています。

(1)では、「漱石 初期岩波全集――編集の現場」と題して、大正12年9月1日に発生した関東大震災の翌年に発行、いわゆる第三次漱石全集について、岩波の校正者・和田勇と主に小宮豊隆の間でかわされた本文校訂上の現場のやりとり(小宮が、和田への返事として、大学ノートへ書き込んだ鉛筆書きの薄くなったのを判読するのは大変な作業である)を主なテーマとして、10数回にわたり掲載します。当時の本文確定の実態を知る数少ない具体的資料といえます。(後日まとめて写真の掲載も予定しています。) 和田は、小宮が留学から帰国する前には、安倍能成と森田草平ともやりとりをしています。
この回で特筆できるもう1点は、連載第3回にまとめて掲載しますが、全集を入手した当時の一般読者からの反応。はがきや書簡のかたちで多数残っており、これがなかなかに高レベル。誤植の指摘や本文確定方針への疑問が述べられている。このいくつかへ、和田は、返事を書きやりとりし、読者からの情報収集にもつとめている。


(2)は、昭和3年の普及版(いわゆる円本全集)出版時の関係資料、(3)は、昭和10年のいわゆる「決定版」について、になりますが、掲載の都合上(1)(2)(3)を独立したブログにしたいと思います。

(2)のブログは、「漱石年譜  夏目鏡子『漱石の思ひ出』 円本漱石全集」と題します。
http://blog.livedoor.jp/sousekitokomiya-sousekinenpunatumekyouko/archives/31302436.html
現存資料には、上の(1)のような本文確定に関わるものは少ない。実際、この普及版においては、本文は事実上大正13年の第三次全集を踏襲しているようである。
今回の資料の中には、出版に際して岩波茂雄が当時の内務大臣へ提出した直筆の「豫約出版届」等があるが、特筆すべきは、この全集の補遺(21巻目)ともいえる、夏目鏡子述 松岡譲筆録『漱石の思ひ出』(大正14年10月15日発行)に附された「漱石年譜」の前バージョン、タイプ印刷の「漱石先生年譜」、漱石の少年時代を直接知る人物からの手書き口述筆記、等の存在である。これはおそらくは、漱石伝(年譜)を念頭に置いて文字に認められた最古の記録かもしれない。本邦初公開といえる。

(3)では、昭和10年のいわゆる「決定版」について。大学ノート5冊からなる編集日記を含む膨大な資料が現存しているので、これらを読み取り、「決定版」誕生の経緯を可能なかぎり追ってみる予定である。