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印刷文化論課題
『甲賀忍法帖』と『バジリスク』
漫画化という作業について
比較文化学類2年次 200310477
川本寛
 
山田風太郎『甲賀忍法帖』は、特異な身体能力を有する忍者が戦いをくりひろげる忍法帖シリーズの第1作である。せがわまさき『バジリスク〜甲賀忍法帖〜』(以下バジリスク)は『甲賀忍法帖』を『ヤングマガジンアッパーズ』誌において漫画化した作品である。『甲賀忍法帖』はせがわまさきの他にも昭和期に小山春夫が貸本漫画として、またせがわと同時期に浅田寅ヲがそれぞれ原作と同名で漫画家している。しかし前者は物語の構成と登場人物に改変がある上に入手困難、後者は近未来調の世界設定に改変されているのに加え未完であるといった点を考慮し、もっとも原作に忠実に漫画化された『バジリスク』を題材として漫画化という作業の特徴を考察してゆきたい。
 
 
甲賀忍法帖の特徴
  『甲賀忍法帖』は慶弔十九年、徳川三代将軍を現将軍、秀忠の嫡子竹千代と国千代のどちらにするか決めかねた徳川家康が、伊賀と甲賀の忍者各十人を戦わせ、生き残りが多い方の支持者(伊賀:竹千代、甲賀:国千代)を将軍とするという筋立ての時代小説である。
 登場する20人の忍者はそれぞれ特異な忍法を所持しており、各忍法の相性などによって勝敗が大きく左右されるのが『甲賀忍法帖』の魅力の大きな要因である。
伊賀甲賀の忍者と忍法は以下のとおり
 
伊賀組十人衆
 お幻:鷹を操る。
 朧:朧が見つめると他の全ての忍法を無効にする。
 夜叉丸:髪を編んだ黒い縄を自在に操る。
 小豆蝋斎:体が異常に柔軟で、手足を鞭のようにしならせ敵を斬る。
 薬師寺天膳:死んでも体が自動的に治癒し、蘇生する。
 雨夜陣五郎:塩に触れると体が縮み、気配を悟られなくなる。
筑摩小四郎:息を吸い込むとカマイタチ現象が発生する。
蓑念鬼:全身の体毛を自在に操る。
蛍火:念力で動物を操る。
朱絹:表皮から霧状の血液を散布する。
 
甲賀組十人集
 甲賀弾正:口から毒針を吹き出す。
 甲賀弦之介:「瞳術」見つめると敵の殺意や忍法を跳ね返し同士討ちさせる。
 地虫十兵衛:四肢がなく、腹ばいで移動し口から槍を吐く。
 風待将監:粘性が高い唾液をクモの糸のように飛ばす。
 霞刑部:体色を変化し隠密行動ができる。
 鵜殿丈助:体をゴム鞠のように軟化し跳ね回る。
 如月左衛門:泥に取った顔型で、顔型の人物そっくりに変装する。
 室賀豹馬:甲賀弦之介と同じ「瞳術」だが、盲目で夜のみ使える。
 陽炎:エクスタシーを感じると猛毒の息を発する。
 お胡夷:皮膚を吸盤のように吸い付かせ、口から吸血する。
 
これらの特異な能力を持った忍者が、1対1の戦闘で数を減らしてゆき、最後に残った1対1の勝敗で全てが決するというトーナメント形式は、甲賀忍法帖以降の忍法帖シリーズや「週刊少年ジャンプ」を代表とした少年漫画誌において、登場人物同士の戦闘を主軸に置いたバトル漫画という漫画の1ジャンルにおいて連綿と受け継がれている。
上記の忍法はいずれも登場時に生理学的説明が併記され、そのため忍者は一部の身体機能を極端にデフォルメされた物語の構成要素という側面が強調されている。加えて『甲賀忍法帖』の作中では甲賀弦之介と朧の悲恋といった心理描写はいくつかあるものの、忍者たちの特殊能力を用いた戦闘が大きな比重を占めているため、忍者というパーツを組み合わせたパズル的構成が『甲賀忍法帖』の最大の特徴といえるだろう。
 
 
 
漫画化の約束事
『甲賀忍法帖』と『バジリスク』を考察する前段階として、小説を漫画化するにあたって、どの漫画家作品でも行われている一般的な決まりごとを確認しておきたい。
小説作品は題、副題、本文と分割できるが、漫画として絵を与えられるのは本文のみである。題に関しては『バジリスク』のように改題がなされ、独自の意匠を持って装飾されることも少なくない。副題は構成上カット、もしくは改題される場合が多々見受けられる。
本文はさらに括弧閉じで括られた台詞と、その他の地の文に分割できる。
小説の台詞は風船状の空間に発言者を示すよう突起がついた形のフキダシに文字で表記される。特殊な表現技法として、発言の語調を強めるために吹き出しがトゲを帯びていることや、心中の発言であることを示すために突起部分が泡状になっていることもある。
小説の地の文は一般的に登場人物の行動や情景描写を表しているため、漫画では一般的に絵で表される。空間や人物の描写についての分はページ上の枠線に囲まれた一区切りであるコマを一つ使い表すが、人物の動作など時間を含む表現は複数のコマとスピード感を表すために絵に付随する効果線を用いて表現されることが多い。上記のように漫画のコマは静止した情報を少ない誌面で表すのに向いており、時間経過を表す場合には小説の地の文以上に誌面を割く傾向にある。そのため小説の漫画化作品は一般的に原作よりページ数が圧倒的に多い。また小説における地の文では登場人物の容姿、周囲の状況といった詳細な状況が省かれる傾向にある。そのためキャラクターの造形や背景は作者の想像力によるところが大きい。
以上のことをふまえて、『甲賀忍法帖』と『バジリスク』の相違点、漫画化するに際して特徴的な表現技法を考察してゆきたい。
 
 
キャラクター造形についての考察
『甲賀忍法帖』には伊賀甲賀20人の忍者に加えて、徳川家康、南光坊天海、阿福(春日局)、二代目服部半蔵正就、柳生宗矩の25人が台詞を持った名のあるキャラクターとして登場する。そのうち、文章による容姿の説明がなされたキャラクターは史実では山田風太郎が創作したキャラクターである伊賀甲賀20人の忍者のみである。
一方『バジリスク』には上記のキャラクターのうち、二代目服部半蔵正就が登場せず、四代目服部半蔵正広と、二代目服部半蔵正就の嫡子で正広の養子の服部響八郎が登場する。
これは『甲賀忍法帖』の時代考証の間違いをせがわまさきが訂正したためである。史実では慶長十九年には、二代目服部半蔵正就は配下の叛乱により逐電し、四代目服部半蔵正広に代替わりしている。そのためせがわまさきは徳川家康の側近的立場に四代目服部半蔵正広を配置し、『甲賀忍法帖』最終章の二代目服部半蔵正就が幼い日の甲賀弦之介と朧を思い出すというエピソードを、正広に同行していた服部響八郎の視点で表現することで辻褄を合わせている。
文章による容姿の説明がなされたキャラクターであるところの伊賀甲賀20人の忍者は、『バジリスク』において基本的に山田風太郎の容貌説明にそぐうことなく描かれている。
『甲賀忍法帖』冒頭の風待将監の説明は「年は四十前後であろう。瘤々したひたいや頬のくぼみに、赤い小さな目がひかって、おそろしく醜い容貌をしていた。背も、せむしみたいにまるくふくらんでいたが、手足はヒョロながく、灰いろで、その先端は異様にふくれあがっていた。手の指も、わらじからはみ出した足の指も、一匹ずつの爬虫みたいに大きいのだ。」とある。
『バジリスク』の風待将監も上記の容貌説明を非常に忠実に再現している。二色刷りのため、肌の色が表現できないことと、赤い小さな目を額のみに並べた以外は完全に風貌を再現しているといってよい。ただし、このキャラクターの完璧な再現は各忍者の持つ特異な忍法まで言及すると事情が異なってくる。
『甲賀忍法帖』風待将監の忍法には、以下の説明がなされている。
「風待将監の吐く物質は一体何なのか。それはやはり唾液だった(中略)しかもそれにふくまれる粘素が、極度に多量で、また特異に強烈だったものと思われる。ここまでは異常体質としても、それを息と頬と歯と舌で、あるいは粘塊として吹きつけ、あるいは数十条の糸として吹きわけるのは、やはり驚嘆すべき練磨のわざだ。」
このような忍法の原理の生理学的説明は、『バジリスク』では薬師寺天膳以外省かれている。その代わり風待将監が、自分の吐いた唾液の糸に自分が絡め取られないよう、掌から潤滑液を分泌するという、『甲賀忍法帖』にない描写が2コマ加えられていたりする。このように科学的説明を省くせがわまさきの手法は、超常現象が多くの作品の題材に使われている漫画という表現媒体において科学的説明はスムーズに読む妨げになると判断したためではないだろうか。さらに忍法の原理的に矛盾が生ずる点は、漫画として絵にしたときに疑問点が読者の目に付きやすいためだろう。以上のことから、漫画という表現媒体は絵による視覚的情報で小説よりも多くの情報が、望む望まざるに関らず読者に受け取られてしまうという性質を持っている。そのため小説を漫画化する際に、読み手の負担を軽減する目的で説明を省き、より疑問を起こしにくいよう加筆や脚色を施すことが求められるのである。
『バジリスク』で忍法の原理の説明が唯一行われている薬師寺天膳の場合も、読み手のスムーズな読書を阻害しないようにとの配慮で行われていると考えられる。『甲賀忍法帖』において、死んでも蘇生する薬師寺天膳の能力は、死んでもなお強力な治癒能力を有しているためとだけ説明されていた。しかし『バジリスク』では、薬師寺天膳の不死の理由を、生まれたときに体内に吸収されたシャム双生児が意識を保ち、不定形のまま治療にあたっているためと追加の説明を加えたのである。これによって物語終盤まで活躍する薬師寺天膳のビジュアルを強烈に印象付けると同時に、『甲賀忍法帖』発表当時(1958~59年)よりも医学知識が普及し、ただ蘇生するだけでは原理に疑問を感じる多くの現代の読者の不満を解消することを試みたのだろう。
 
 
ストーリーについての考察
『甲賀忍法帖』が『バジリスク』に漫画化される際、話の展開においてもいくつかの変更がなされている。展開の変更は主にシーンの加筆もしくは削除であり、話の取捨選択として関るものの『甲賀忍法帖』の大筋を変更してしまうものではない。
『バジリスク』冒頭において、お幻の鷹が蛇を捕獲するシーンが「甲賀と伊賀…そこに千年の敵として互いに憎み合う忍者二つの一族があった」という文章付きで加えられている。この鷹は物語のラストシーンで、徳川家康のもとに人別帖を運ぶ役割を担っており、最終ページは海へと飛んでゆく鷹で締めくくられている。駿府城の情景描写から始まる『甲賀忍法帖』の静かな出だしを、鷹の躍動感溢れるシーンに変更することで、所見の読者の目に強い印象を残す狙いがあったと考えられる。さらに鷹が蛇を捕らえるという暴力的な絵は、その後に繰り広げられる忍者同士の凄絶な戦いを期待させ、ラストシーンを同じ鷹で結ぶことで、伊賀甲賀の闘争が無に帰したこと、歴史の闇に葬られたことを暗示している。
『バジリスク』の冒頭は上記の鷹のシーン以外にも比較的大きな構成上の改変が見受けられる。『甲賀忍法帖』冒頭では、風待将監と夜叉丸がそれぞれ5人の侍を忍法で手玉に取るシーンから始まる。しかしこのシーンは『バジリスク』でカットされ、次の風待将監と夜叉丸の対決シーンから始まる。これは漫画という表現媒体が伝える情報量の多さからと考えられる。夜叉丸の忍法は、数メートルに及ぶ黒縄を自在に操り攻撃するというものだが、この忍法の有用性を示すために山田風太郎は夜叉丸に侍5人を倒させたが、せがわまさきは風待将監との戦いの最中に岩を切らせることでまとめ、初見の印象を強めたと同時に駿府城で行われた3つの戦いを一つにまとめ、冗長になるのを防いだためだと考えられる。このように漫画は常識とかけ離れた事物を小説より容易に読者に理解できるのだ。
 そのほかにも蛍火と如月左衛門の決闘、筑摩小四郎と室賀豹馬の決闘など戦闘シーンにおいて『バジリスク』で大幅な加筆がみられる。『甲賀忍法帖』では一合の斬りあいで勝敗が決していたのを、あえて2,3シーン分のアクションを加筆するのは、戦闘シーンを充実させるために他ならないが、充実させる必要性は雑誌連載の形態の違いからだと考えられる。『甲賀忍法帖』は月刊誌、『面白倶楽部』において1話につき平均26ページ、全13話にわたって連載された一方『バジリスク』は月2回刊行の青年誌、『ヤングマガジンアッパーズ』において1話につき平均30ページ、全34話にわたって連載された。つまり『甲賀忍法帖』1話あたりの内容を話数にして約3倍、ページ数にして4倍近い誌面を割いて表現しているのだ。雑誌連載という形態をとっている以上、1話ごとに山場を作る必要があり、絵として表現すると物足りなく感じる戦闘描写を延長させ、山場としたのである。
 最も顕著なストーリー上の改変は『甲賀忍法帖』の半年前の出来事を描いた「二十」というエピソードが単行本第4巻冒頭に加えられていることだろう。このエピソードがせがわまさきの完全な独創ではない(小説序盤に1文だけ書かれている)ものの、せがわまさきの意向が強く反映された1話となっている。山田風太郎ファンであるせがわまさきなりのキャラクターへの愛着が具現化したと同時に、争いが起こる前の平和な伊賀と甲賀の里と連載当時双方6人ずつ12人が死んだギャップを読者に印象付ける効果があった。
 上記の例に代表されるように、漫画化する際に物語の構成を変化させる要因は、活字媒体と絵を交えた漫画という表現媒体の情報量の差に起因し、連載形態や漫画家独自の観点など多岐にわたるのである。
 
 
 
 
本文外についての考察
 『甲賀忍法帖』が『バジリスク』と改題されたように、本文外にも様々な違いが見られる。全1巻の『甲賀忍法帖』と全5巻の『バジリスク』の刊行形態の違いからくるものなど多岐にわたる。
 『甲賀忍法帖』の副題が「甲賀ロミオと伊賀ジュリエット」「魅殺の陽炎」「最後の勝敗」などその章のハイライトから採られているが、『バジリスク』は第1殺(話)「十対十」から忍者が一人死ぬにつれてその題を変えてゆき、最終殺(話)「一対一」まで伊賀と甲賀の残り人数から採用されている。前章で述べたように話数の違いから副題を変えざるをえないという理由もあるが、「話」を「殺」とわざわざ言い変えていることから察するに、せがわまさきはストーリーの大筋以上に「決められた数の忍者が数を減らしあう」というパズル的要素に重点を置いて構成したのだと考えられる。
 『バジリスク』単行折り返しには「愛する者よ、死に候え」という1文が書かれている。この文は巻が進むごとに墨で汚れてゆき、最終巻となる第5巻ではほとんど読み取ることが不可能なほどである。この文の「愛する者」は婚約者でありながら互いに殺し合うことになった甲賀弦之介と朧のことであり、愛し合いつつも里の違いから結婚できなかった甲賀弾正とお幻のことでもあった。愛する妹、お胡夷が死ぬのを黙って見取るほかなかった如月左衛門や、その如月左衛門が変装した婚約者、夜叉丸に殺された蛍火のことも含まれていただろう。忍者が殺し合い減ってゆくというパズル要素を重視した一方で「愛する者よ、死に候え」が成就するごとに汚れていくというセンチメンタルな一面を単行本に表すのは、単行本購入者をマーケティングした結果とも考えられる。パズル的要素が強い『バジリスク』の副題は、『ヤングマガジンアッパーズ』でも目にすることができる。つまり『バジリスク』を熱心に読む読者から、流し読みする読者までを対象にしたものである。それに対して単行本を買わないと目にすることができない「愛する者よ、死に候え」の1文は、『バジリスク』の物語やキャラクターに対して強い思い入れを抱いた読者を対象にし、より深い読み込みを導入させたものだと見てとれる。
 
 
結論
 以上のように、『バジリスク』は『甲賀忍法帖』を忠実に再現することを念頭に置き、原作の雰囲気を壊さず漫画化しつつも、小説と漫画という表現媒体の差を埋めるために様々な工夫がなされたものである。この差は文章と、絵つきの文章の差であり、視覚によって認識できる情報量の多寡であった。四方田犬彦が「漫画においては全てが過剰である」といったように、せがわまさきは一枚の絵から大量の情報が頭に入ってくる漫画表現のために、あるときは展開を簡略化し、あるときは物足りない部分を継ぎ足し、漫画独自のリズムを作り出している。また漫画は商品としての側面も強いため、1話ごとの盛り上がりや単行本でのおまけなど、読者への歩み寄りも見られる。さらに山田風太郎の原作を十分に尊重した上で「二十」のようなせがわまさきの独自色が強いエピソードを挿入して破綻をきたさないのは、せがわまさきの技術もあるが、漫画がとても柔軟性のある表現媒体だからこそできたことではないだろうか。漫画化という作業は単純な翻訳作業ではなく、原作者の方針を尊重しつつも再構成し、漫画家の独自色を色濃く残すことも可能な創造性溢れる作業なのである。
 
参考文献
山田風太郎『甲賀忍法帖 山田風太郎忍法帖@』講談社、1998年
せがわまさき『バジリスク〜甲賀忍法帖〜』1−5巻、講談社、2003年〜2004年