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平成16年2月
印刷文化論学年末レポート
『アーティストビジュアル
―――ラーメンズ×グッドデザインカンパニー』
200100489
第二学群 比較文化学類
No.3 国本美沙
序論
ラーメンズ、という芸人がいる。
「芸人」、或いは「お笑い芸人」という言葉に、「テレビで馬鹿なことやって笑わせてる人」というイメージを持つ人は少なくないと思う。かくいう私もかつてはその1人で、お笑いに対してなんとなく低俗な雰囲気を感じていた。そしてそのイメージを見事に払拭したのがラーメンズというコンビだった。
彼らは、「舞台コント屋」と自称するように、テレビにはほとんど顔を出さず、定期的に行う「本公演」のチケットは即日完売、演劇のプロデュース公演や他劇団への客演をしたり、制作したショートフィルムが世界規模のフェスティバルに入選。それぞれ漫画家、彫刻家という副業を持ち、役者として個別にテレビドラマやCM、映画等に出演するなど、どこからどう見ても普通の「芸人さん」とは違っている。そして舞台同様に、「カッコイイ」と定評があるのが、ポスターやフライヤー、販促グッズなどのアートワークであり、それら全てのデザインを担っているのが、グッドデザインカンパニーというデザイン会社である。(特にポスターは公演最終日を待たずに完売、お笑いと無関係に「ブレーン」などの広告雑誌に幾度も掲載されるなどしている。)
グッドデザインカンパニー(以下gdc)とは、アディダスジャパン、初代フランフラン、インテリアショップのイデーなどの広告を手がけ、代表の水野学氏は2002年度JAGDA(Japan Graphic Designers Association)新人賞を受賞するなど、現在注目されているデザイン会社のひとつである。
「“私たちの職業はラーメンズです”といえるブランディングを。」というgdc水野氏と、「舞台は命がけでつくっていますから、人に任せるのはすごく勇気がいることなんですよ。水野の提案とラーメンズの希望がうまく共鳴しないとダメだった。」というラーメンズ小林賢太郎氏。アーティストが伝えたい世界を、アートディレクターが汲み取って表現する。一歩間違えれば誤解を招き、動員数を減らすかもしれない。しかしうまくイメージを作り上げることができたなら公演が話題になるだけでなく、他のジャンルの人間からも注目され、ラーメンズの活動範囲も広がるし、gdcの仕事も増えることだろう。どちらにしても大変繊細な作業であることにかわりなく、A4サイズのフライヤー一枚に込める思いというのも相当なはずだ。私たち「消費者」に届くビジュアルが出来上がるまでに、デザイナー(gdc)とアーティスト(ラーメンズ)の間にはどんな会話があるのだろうか。彼ら個々の活動も合わせて、「チーム・ラーメンズ」のつくるアーティストビジュアルについて考察したいと思う。
第1章
アーティスト・サイド―――Rahmens
すべての作品の作・演出も手がける小林賢太郎と、看板俳優片桐仁から成る舞台コント屋。名前の「Rahmen」は食べるラーメンではなく、ドイツ語で「枠、額」の意。英語の複数形sをつけたのは、枠が複数重なることで「箱」ができるから。彼らが舞台で使う唯一の小道具が「箱」であり、劇場のことを「箱」、あるいは脚本のプロット段階のことを「箱書き」と言ったりすることに由来する。多摩美術大学在学中に結成。毎回全編新作による単独公演は、98年の「箱式」に始まり、2003年末から2004年2月にかけて行われている「study」で14回を数える。gdcは99年の第5回公演「home」(上演は2000年1月)よりデザインを担当。第1〜4回公演までは小林氏が自身でデザインしており、「脚本と芝居に集中したかったので、信頼できるデザイナーやカメラマンと出会ったら頼みたいと思って」いたところに、公演を観に来ていた水野氏が、アンケートの「DMを希望する・しない」の欄に「つくる」と書いて○をつけたことが始まり。ラーメンズの二人と水野氏は大学の同期で、在学中はほとんど接点が無かったそうだが、小林氏曰く「プロ同士になってやっと胸を張って会えるようになった」。
勿論ラーメンズの注目すべき点は、デザインだけではない。NHK「爆笑オンエアバトル」でのブレイク以降、公演の動員数は大幅に増え、今ではプレミアチケットとなり、公演期間中は連日当日券を求める長蛇の列。映画が大ヒットとなった場合は上映館を増やすなり上映期間を延長するなりできるが、舞台の場合はそうは行かない。追加公演を打てることもあるが、いまや立ち見でも観られればラッキー、な勢いなのだ。「アート系」などと冠付きで呼ばれることのある彼らだが、その作品は決して難解ではない。セットなし、衣装替えなし、小道具も最小限のシンプルな舞台に、日常の中の非日常ではなく、非日常の中の日常を描くそのコントは、普遍性をもって私たちの頭の中にやってくる。説明しすぎないからこそ想像したり、自分の記憶に結び付けられる。真っ白の無機質な衣装に真っ白のエプロンでコンビニの設定だとしたら、観客にはそれぞれ自分に一番身近なお店の制服に見えるだろう。ラーメンズが与えてくれたヒントが、観客の頭の中でそれぞれのパーソナルな部分に繋がり、面白さに変わる。笑いが起こる。それはお互いにとって気持ちのいいことであり、彼らがライブにこだわる理由の1つでもあると思う。
「ラーメンズをすごく好きな人もいれば、初見の人も相手にしなきゃいけない。興味の無い人も知らない人もいるかもしれない。でも、二度目のお客さんも楽しませなきゃいけない。そこでどうしたらいいか考えると、均一の緊張感がほしいんです。それには情報不足ということが一番キーになった。」(小林氏談)
様々なスタイルのラーメンズのコントに共通する、「情報不足の美しさ」は、テレビコマーシャルにも通じる要素であると思う。実際小林氏自身、広告関係の仕事に就こうと考えていたこともあり、雑誌「広告批評」の主催する広告学校に特別講師として招かれたこともある。そのようにお笑い以外のジャンルに自ら発信していくことで、他の世界のプロたちからの注目を獲得しているのだろう。
演劇人ラーメンズ
そして、演劇系の雑誌では最もメジャーな「演劇ぶっく」が年に一度読者の投票によって出す「演ぶチャート」というランキング、2002年度の順位は、
<俳優部門>
片桐仁・・44位 小林賢太郎・・45位 (963人中)
<作品部門>
「小林賢太郎プロデュース公演 good day house」・・48位
「ラーメンズ第11回公演 Tour cherry blossom front 345」・・79位
「ラーメンズ第10回公演 雀」・・89位 (693作品中)
となっている。勿論「お笑い」というジャンルの俳優としては彼らの上に立つものはおらず、「演劇人」として有名な人たちが彼らの下にたくさんランクインしている。そして毎年着実に順位を上げているようで、これはただ単にファンが多いということではなく、「役者」として、また「舞台作品」としてお笑いファン以外からも認められてきている、ということではないだろうか。
ここで今、「お笑い」と「演劇」とを分けることによって彼らがどれだけ「舞台」で活躍しているかということを説明したわけだが、私個人としては、そのジャンル分けは正直好きではないし、その境界線はどんどん曖昧になってきており、もはや意味を持たないと言ってしまってもいいのではないかとさえ思う。ひとつにはラーメンズやバナナマンの様に、コントといいつつも内容は立派なショートショートであり、舞台としてもウェルメイド(よくできた作劇方法に従っているという意味の演劇用語)をやってしまう「お笑い人」の存在。次に松尾スズキ主宰の、いま日本で最もチケットが取れない劇団といわれる「大人計画」の爆発的人気。彼らの作品の多くは、「演劇」ときいてイメージする重く、堅苦しいものではなく、笑いの要素をふんだんに取り入れたコメディである。そして彼らの人気に拍車をかけたのが、宮藤官九郎の脚本によるドラマや映画のヒットであろう。テレビや映画館で彼の作品に魅せられ、お芝居なんか観たこともなかった若者たちが劇場へ流れ出したのだ。宮藤氏は、近年最も劇場の敷居を下げた功労者であるといえるのではないだろうか。そして、コンドルズ。彼らはダンスパフォーマンス集団でありながら、ストーリー性のあるダンスはまるで台詞のないコント。国内のみならず、世界各地で公演を打つ彼らは行く先々で大絶賛を浴び、イギリスの有名紙では、「日本のモンティ・パイソンだ!!」と書かれたそう。振付家で主宰の近藤良平をはじめとするメンバーは非常に個性的で、とてもダンサーには見えない容姿のひとも。ユニフォームは学ランだが、中には人気役者兼劇団主宰者や、筑波大学、早稲田大学などで教鞭をとる先生もいるというから驚きだ。人気のある彼らでもコンドルズの活動だけでは「食えない」らしく、全員が何かしら副業をもっているということからも、「舞台」
という世界の厳しさや特殊性がうかがえる。
こういったジャンルにとらわれない活動をする「舞台芸術家」は他にも沢山おり、舞台を活気づけているわけだが、当の本人たちはジャンルというものを邪魔だと思う傾向にあるようだ。小林氏と宮藤氏が雑誌で対談をしたとき、次のような会話があったのが印象的だった。
宮藤:いろんな人から“ラーメンズはお芝居(・・・)の(・)人(・)も(・)、見たほうがいいよ”って何度も薦められたんですよ。でも同世代だと、変に意識しちゃうんです。それで二年ぐらい見に行かなくて、いま思うと損したなと思う。
小林:まわりがほめると、逆に見たくないというパターンですね。ジャンルって、ホント、邪魔ですね。
宮藤:特に小林さんは邪魔だと思ってると思いますね。
小林:思います。僕らのことをお笑いだと思ってる人もいるし、演劇だと思ってる人もいる。僕としては全然どっちでもよくて、それは見る人の取り方だから自由だと思うんですけど。
多くのひとが要らないと思うものなら無くなるかもしれない。「お笑い」「演劇」という呼び方を人々がしなくなった時が来るなら、その歴史を大きく動かしはじめたのはラーメンズだといわれるかもしれない。その頃に私は、若い世代に「ただの」ラーメンズの公演を何度もみたことを自慢しよう。そしてその頃には、コンドルズもバイトをしなくても「食える」ようになっているに違いない。
笑いの公式
ラーメンズの公演では、1回につき10本弱のコントを披露する。つまり小林賢太郎がこの世に送り出したコントの数は、優に100本を超えているわけだ。しかもスタイルがそれぞれ違う。普通に考えて、セットや小道具の無い舞台で、2人の男性によってのみ行われるコント作品を90分以上見せられたら飽きるだろう。ところが彼らの場合は飽きないのだ。それは私の個人的な評価だけではない。クリエイティヴディレクターの佐藤雅彦氏は、「実はラーメンズのビデオを観る前、一本丸々を何本も観ることになることになるとは思わなかったんですよ。これはすごいことだと思った。(中略)僕がCMで使っていたことと、すごく近いものを感じました。」という。佐藤雅彦氏といえば「だんご3兄弟」が有名だが、もともとはCMで数々のヒットを飛ばし、ADCグランプリを複数回受賞するなど、CM界の「すごい人」なのである。佐藤氏も「ルール」や「トーン」という、独自のCMの「つくり方」を複数つくり、数々のヒットCMをつくりだした。電通クリエイティブ局に在籍していたころ、2〜3年に1本くらいのヒットがあれば周りからスゴイと評価を受けていた状況に対して、「スポンサーにとってすごく迷惑だなと思った。だって企業は何年も前から商品開発をやっているわけで、やっと生まれた新商品の広告をそんな低い確率で広告したくないですよね。でなんとか自分は、もちろん目指す打率は10割ですけど、8割から9割は確実にうまくいかせたいと思った。その時、やっぱり“ひらめき”だけじゃだめだと思ったんです。」(佐藤氏)という。
広告をつくるものとして、スポンサーの立場に立って考える、というところは、gdcにも通じるところであり、作品をつくるものとして、ひらめきだけでなく、「つくり方をつくる」というところでは、ラーメンズと同じなのだ。小林氏も、プロになる以上、気分が乗らない、風邪をひいてつくれない、などということがないように、最初に方法論、マニュアルをつくったそうだ。「作品なら僕が本能で作って僕が面白いと思っていればいいわけです。でも、お客さんが来て笑ってそこで完成する、次もお金を払ってまで来たいと思わせるための見応えのレベルを考えると、一定の基準をクリアしないとダメ」だというわけだ。ものは違えど、それに向かう姿勢は、前述の佐藤氏の発言と非常に近いと思う。
そして、そのつくり方からつくるということが、飽きさせないための要素であり、本公演の動員数増加に大きく関わっていると思う。お笑い、と一口に言っても、過去にはたくさんの偉大な芸人がいて、現在のお笑い界にも多大な影響を与えている。小林氏も、はじめはそういったものを観て、研究し、すべての漫才やコントは当てはまるであろう公式をつくったそうだ。それが次第に面白いと思っていることは何か、つまらないと思っていることは何か、という箇条書きに入れ替わり、それからは既成の笑いのフォーマットに内容を当てはめていくのではなく、面白いことをいかせる「カタチ」を後からつくるようになった。それこそが「新しい」といわれるラーメンズオリジナルのコントなのであり、90分の公演でも飽きないのは、それぞれの作品をつくり方からつくっているため、押されるツボが違うからなのだ。
しかし、以前は机の前に貼っていた箇条書きのマニュアルも、今はもうないのだという。「自分がルールを思いついたことがうれしくて、そこにしがみつくというのは進化の邪魔だと思うんです。」(小林氏)つくり方からつくる、という方法は変わらないようだが、人気、実績ともにある程度クリアしてしまったラーメンズが、どのように進化していくのか、これからも注目していきたいと思う。
ラーメンズの映像作品 teeveegraphics×Rahmens
ラーメンズと小島淳二氏(映像集団teeveegraphics以下tvg主宰)によるコラボレーションは、幾何学的デザインや、音、テンポ、CG処理といった映像ならではの遊びを随所に活かしながら、舞台とは一味違うラーメンズの世界を表現している。その作品群は、ラーメンズ超特別公演「RMS1〜Rahmens Mount Show1」(「ラーメンズだけど見せたいものがあるからちょっと来て」)での公開、tvg作品集DVD「VIDEO VICTIM」への収録のほか、毎年世界各都市で開催されるデジタルフィルムの祭典、onedotzero(2003年は40都市で開催)及びresfest(2003年は18都市で開催)で公開されている。どちらのフェスティバルでも、2002年度から続けて入選しており、日本のみならず、海外でも彼らのコラボレーション作品は「お馴染み」のものとなっている。脚本は小林賢太郎、監督は小島淳二で作品づくりをしてきた彼らだが、2003年から小林、小島のユニット、NAMIKIBASHIでのディレクションとして海外では作品を発表しているようだ。その中で代表的な作品、“The Japanese Tradition”シリーズについて、簡単に記しておこうと思う。
The Japanese Tradition 〜dogeza〜/2001
極端にデフォルメされた日本の伝統様式を、海外向けハウツー映像を装って見せていくシリーズ第一弾。小島氏と小林氏の初コラボレーション作品でもある。@何かしでかすA目で申し訳なさをあらわす・・・F頭を床上1センチの所まで一気に下げる・・・など、「正しい土下座の仕方」が、スーパーや特殊効果を交えながら大真面目に説明される。英語版、日本語翻訳版の2音声があり、「外国の人がほんとに信じちゃったらどうしよう。」という日本人の不安を大いに誘う内容になっている。出演はラーメンズの二人のみで、セットや小道具なしのモノクロの映像と、ラーメンズの舞台における「シンプルさ」を映像にもちこんだものといえる。
The Japanese Tradition 〜sushi〜/2002
寿司屋への入り方から、ビールの注ぎ方、醤油のつけ方、会計の仕方など、寿司にまつわる作法と情報を、やたら事細かに紹介する。前作同様、2音声あり、大幅なデフォルメと、嘘で構成されている。テレビ番組でresfestの特集があったとき、小島、小林両氏がサンフランシスコ会場に訪れた際の映像が流れたのだが、なんとアメリカ人にも大受けであった。観た人が笑うポイント、それもまた小林氏の「公式」どおりなのだそうだ。観客から「あの話は本当?」ときかれ、「ジョークです。」と答える場面も見られたが、私たちが思っている以上にアメリカの人たちは日本の文化をよく知っており、「ネタ」のほとんどをきちんとジョークだと理解した上で笑っているという印象のほうが強かった。
The Japanese Tradition 〜kousai〜/2003
この作品には、「机上の空論」という“邦題”がついており、話題の監督4人によるショートフィルム集「Jam Films2」(2004年春公開予定)の中の1篇として制作された。小林氏脚本の映像作品の中では最も長い、30分の中篇作品。劇場公開に先立ち、2003年のresfestで世界公開された。前半は男女の出会いから交際、プロポーズまでを説明したThe Japanese Traditionのハウツー映像、後半がそれを実践したドラマで構成されている。これまで以上にアニメやCGなど、映像の遊びが多用され、ラーメンズの二人はワイヤーアクションにも挑戦した。出演はラーメンズ、市川実日子、斉木しげるのほか、小林賢太郎プロデュース公演に出演している舞台俳優陣や、tvgがミュージックビデオを手がけるバンド、ACIDMANのメンバーなど、やはりこれまでで一番の大所帯である。映像の派手さ、キャストの多さ、ロケでの撮影など、これまでの「シンプルさ」から大幅にはみ出た作品となったが、シリーズを通しての「日本文化のデフォルメと嘘」のテイストは変わっておらず、尺が長い分笑い所満載で、笑わせるだけでなく、最後には少し切ないような、「いい映画」として完結する作品となった。
ラーメンズはまた、本公演を収録したライブビデオも第5回公演「home」以降すべて
の公演ごとに発売している。ただ、tvgとの映像作品とは異なり、ビデオというのはあくまでも二次媒体であって、ビデオで観ることを想定してつくられた作品は無い。だから舞台で観た公演をビデオで見直したりすると、作品によっては全く別物に感じることもある。特に「間」が悪く感じるのだ。集中して舞台を見ているときにはちょうどいい間が、テレビの画面で見ると非常にテンポが悪い。表情がアップになったりして分かり易くはなるのだけれど、あの平面の画面にはやはり似合わないのだ。小島淳二氏も言っているのだが、ビデオは予習、復習用にしたほうがいいと思う。
第2章
デザイナーズ・サイド―――good design company
社名のグッドデザインとは、「良いデザイン」ではなく、「デザインすることは良くすることである」という水野代表の考えに基づくもの。水野氏は、多摩美術大学デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業後、パブロプロダクション、ドラフトを経て、99年(平成11年)1月1日にgdcを設立。ラーメンズに関しては、同年、第5回公演「home」以降、小林氏と水野氏でアイデアを出し合い、全てのビジュアルを手がける。話し合いのなかでお互いにラフを描き、納得のいく案が出るまではたとえいいアイデアでもどんどん切っていく。そうして出た最高の案を、gdcがビジュアル化する。小林氏曰く、「すべて任せて、僕が首を横に振ったことは一度もありません。」
ラーメンズ以外のクライアントに対しても、似たようなつくりかたをしているようだ。たとえばフランフランというショップのロゴマークに関しては、コンセプトを決めて手書きラフを50案ほどつくり、そこから絞った約5案のバリエーションを10案ほどつくり、その作業を4、5回繰り返す・・・トータルで200〜300案つくり、その中から決めていったという。しかもクライアントが厳しくてそうしたのではなく、向こうが「まだやるの?まだ持ってくるの?」という感じになってしまったそうだ。気の遠くなるような作業だが、水野氏の「気合い」の表れなのだと思う。アディダスジャパンの小松裕行氏とも、一緒に手描きの絵を描いてデザインを決めていく。小松氏自身が「普通のクライアントに比べたら(アディダスジャパンは)相当面倒くさいと思う。」という仕事に関しても水野氏は、「アディダスのことを真剣に考えてなかったら面倒くさいと思う。でも真剣にアディダスのことを考えたら、全然面倒くさくないんですよ。当たり前のことばかりだから。」と言う。
同年に共にJAGDA新人賞を受賞し、ドラフト時代の水野氏の先輩でもある柿木原政広氏は、彼について次のように語る。「水野はどういう人って聞かれたら、いつも答える言葉が決まってるんだけど、プロデューサー、って答えるの。水野はプロデューサー。人と人の関係をつなげたり、そのベースになる土台づくり、環境づくりが天才的にうまい。ただ、デザインできないんだけど(笑)」柿木原氏はラーメンズの「CLASSIC」のポスターを「今回のいいね、ダントツ。」と賞しており、そのデザインを手がけたのは水野氏ではなく、新進気鋭の女性デザイナー、板倉敬子氏なので、「デザインできない」という発言は板倉氏への賛辞であろう。確かに彼女の銀の箔押しを用いたイラストは、他の作品でも見ればすぐその人のものと分かる個性的で新鮮なものだと思う。「しあわせなことだよね、(中略)水野のところに入ったデザイナーは、この表現で、このポスターで、それがラーメンズで勢いもあって、っていう環境のなかにいることができる。それデザイナーにしてみたら、すごい優秀なプロデューサーがついてるようなもんだよ。」(柿木原氏)
広告の仕事というのは、クライアントの要望があって、それに沿ったものをつくり、その分の報酬をもらう、という仕事だと思っていた。しかし水野氏は、クライアントの将来、広告を受け取る消費者のこと、デザイナーや会社の未来、そしてデザインという世界の将来のことまでを考えているような気がする。みんなが今だけでなく明日も幸せな気持ちでいられるようなデザインをつくろうとしているのではないだろうか。そうだ、「デザインすることは良くすること」なのだ。
クライアントと徹底的に話し合い、面倒だと思われる作業も厭わない。gdcにとっては、クライアントの立場に立てば当たり前のこと。フランフランにせよ、アディダスジャパンにせよ、ラーメンズにせよ、生まれたばかりの若い会社やアーティストであったということも、gdcにそのような仕事の仕方ができた大きな要因かもしれない。独立前の水野氏がドラフトでよく言われていたという「最低でもそのクライアントの10年後、20年後を考えてないとダメだ」ということを、きちんと実践しているように見える。単に1回1回カッコいいチラシをつくればいいというのではなく、それぞれのブランドを日本に定着させよう、そのためには絶対に手を抜かない。彼らの広告づくりは、宣伝といった枠を越え、クライアントとひとつのチームのように見える。
ラーメンズ×グッドデザインカンパニー
公演ポスターやフライヤー、ビデオ宣伝用フライヤー、ビデオジャケット、Tシャツや携帯ストラップ、カレンダーから著書のカバーデザインまで、ラーメンズに関わるものすべてのデザインを手がけるgdc。お笑いでもない、演劇でもない、ラーメンズという新しいカテゴリーのブランドをビルドアップする。水野氏がラーメンズのビジュアルを担当するにあたって、最初にあったコンセプトだ。
「ラーメンズを純粋に見てほしい。そういう位置付けになったらいいと思い、彼らのファンがファンであることにプライドを持っていられるようなフライヤーやポスターをつくろう、と考えたんです。」(水野氏談)ラーメンズを純粋に―――ジャンルが邪魔だと感じている小林氏と共鳴し、支えているのが水野氏のデザインなのだ。
さらにスタッフにも、ラーメンズの仕事に携わっているんだというプライドを持ち、それを制作側のやる気にも繋がるような法則をつくっているようだ。ここには、序論で述べたような、「お笑いは低俗なもの」というイメージは、微塵もない。
以下は、gdcが手がけたラーメンズの公演フライヤー及びポスターについて、上演順に記したものだ。なお、別途資料(@〜I)があるので、そちらも併せて見ていただきたい。
「home」「FLAT」「news」(資料@)
第5〜7回公演(東京、横浜、「news」は全国5カ所/00)。英語4文字3部作。「home」
の劇中に登場するイワンというキャラクターの写真を使っている。小林氏とのセッションから生まれたアイデアだが、水野氏の中で、写真で行こうというのは絶対的にあったそう。よく新人の漫才コンビがネタのはじめに「顔と名前だけでも覚えて帰ってください。」などと言うが、どれだけ世間に認知されるか、というのが重要であるはずの「お笑い界」において、当時はさほど有名ではなかったコントグループのポスターを、本人の顔を出さず、いかにも面白そうなつくりにしない、というのはリスクがあるように思われる。しかし彼らは、作品そのもの、その内容や意味を商品にしているので、タレント性ではなく、本当に「ラーメンズを観る」という部分を構築したいと考えたのだそうだ。
ラーメンズのふたり、特に小林氏は自分のプライベートを語らない。それは、「小林賢太
郎」という個人を観客が知ることで、純粋に作品を観られなくなることを防ぐためだ。「やっぱりそれぞれの“役の人格”が一番みえてこなきゃいけないと思うんです。結局、“実際はどんな人なのか分からない”っていうのが一番理想だなと思いましたけど。」(小林氏談)余分な情報や先入観は無用。ただ目の前で繰り広げられる世界を見ればいい。実際に彼らのライブを観てデザインを手がけようと考えた水野氏は、このことを体感していたに違いない。
「椿」「鯨」「雀」(資料A)
第8〜10回公演(東京、大阪、「鯨」は全国7カ所/01、02)。漢字1文字3部作。タイトルに関連する要素を1つだけ入れて一発撮りしたこのシリーズでは、下のほうにラーメンズの顔が半分だけ出ている。この頃にはラーメンズの知名度も格段に上がり、チケットの供給を需要が大幅に上回っていた。ブランディングが出来上がってきたことによって、商品の顔を見せていくという考えも成立するだろうということと、「顔が載っているものは1つでも欲しい」というファンの声に応えたかたちになった。これもまた非常に「らしい」出来だと思う。ラーメンズの作品は、決して難解ではないのだ。実は誰にでもわかりやすく、基本的には親切なつくりをしている。でも予想通りの展開にはならない、少しひねくれた人がニヤニヤしながらつくっている感じ。この、「顔が載ってる、でもちょっとだけ」というのも、そういったラーメンズのさじ加減とリンクしているような気がする。
「実を言えば、被写体として彼らはかっこいいので、普通に撮ると男前になってしまう。
そういうのを前面に出すと、違うところでファンがついてしまうので、最初から顔を出さないで行こうという考えもあったんです。」(水野氏)
ここ最近のお笑いブームのなかに見られる芸人の「イケメン」傾向。若い女の子たちが
かっこいい若手芸人を見るためにお笑いの劇場にいくのだそうだ。普通の男の子よりかっこよくて、アイドルよりも身近、という声が多いらしい。劇場に行く人口そのものが増えるという意味では、いい傾向だと思う。ただ私自身は興味が無い。むしろ容姿の端麗さを前に出されると、大して面白くないんじゃないか、真面目に作品を作ってないんじゃないか、と思ってしまうのだ。つまり、容姿が良くても悪くても(個人の好みの問題なので良し悪しでは測れないのだが)それがいい方向にだけ働くということは有り得ないわけで、あえて顔を積極的に見せない、フラットな状態を保つというのは、なかなか賢い戦略ではないだろうか。
「Tour Cherry Blossom Front 3 4 5」(資料C)
第11回公演(全国4カ所/02)。3月、4月、5月と、まさにcherry blossom front=桜前線のごとく全国行脚した公演。「イラストはドラフトの関本さんに描いてもらったものにCGを加えています。美術館の“日本画展”みたいなものを意識したのですが、ラーメンズ史上、一番手がかかったポスターになりました。」(水野氏)確かに、「お笑い」どころか、演劇のポスターでもこれだけ手のこんだ、高級感のあるつくりのものはそうそうないだろう。
「鯨」と「雀」の間に特別公演「零の箱式〜The Box System ver.0」という公演を東京
と大阪で行っている。これは、ビデオ化されていない第1回公演「箱式」から第4回公演「完全立方体〜PERFECT CUBE」までの作品もビデオ化したいというポニーキャニオンからの要望に応えるべく、小林氏自ら10本程度厳選し、リミックスして上演したものである。ビデオ、DVDの背帯には「ヨリヌキ初期作品集」の文字が。その後本公演以外に地方でライブを行ったり、11回公演の直前には超特別公演「RMS1」を東京で開催、小島淳二氏との共作フィルムを上映するなど、「cherry blossom」直前の彼らは、固定ファンへのサービスとともに活動の幅を広げている。
この公演のポスターから伝わってくる高級感や、日本画風であるがゆえの落ち着いた雰
囲気は、上記のような活動の積み重ねによるラーメンズの成長と足並みを揃えているといった感じだ。また、ラーメンズの作品からにじみ出る日本語特有の面白さや美しさと、日本国花の桜というのも、非常に似合っていると思う。
「ATOM」(資料D)
第12回公演(東京、大阪/02、03)。11回公演からの間に、小林賢太郎プロデュース公演#1「good day house」で念願の「20代のうちに劇団旗揚げ」を果たし、公演来場者による00、01年のラーメンズ作品人気投票で選ばれた作品を収めた初のベスト盤DVD「Rahmens 0001 select」を発表。その発売記念として全国6ヶ所でライブを行った。「ATOM」制作の際、小林氏は「ラーメンズと離れて違うものをつくる時間が多くなって、改めてラーメンズに対する取り組み方を見直した」という。第4回公演「home」で初めて300人規模で上演した、いわば彼らの「ホーム」グラウンドである劇場、新宿シアターサンモールで、初心に帰ろうということだったらしい。タイトルも、もう一度英語4文字に戻し、しかも「A」から始めたい。そんな思いで辞書をめくっていき、辿り着いたのが「ATOM」。辞書には「原子」という意味のほかにもうひとつ、「これ以上分けることができない」という意味が。「二人という会話の最小単位で、“何も足せない、何も引けない”台本が究極の台本なんじゃないかと思っていたんで、これはもう神様がこれにしなさいって言ってるなと思いました。」(小林氏)これだけでも十分すごいエピソードなのに、東京公演が行われた2003年は、あの鉄腕アトム生誕の年。実際鉄腕アトムをフィーチャーした作品もあったが、ここまで偶然が重なると、「神様がこれにしなさいって言ってる」というのを信じてしまいそうになる。
この劇中最後の作品「アトムより」の台詞の中に航空写真の話があるのだが、ポスターでは新宿・シアターサンモールと大阪・近鉄小劇場をそれぞれ中心に据えた航空写真を使用。前回のような手の込んだ高級感とはまた違った、スタイリッシュな作品になり、公演終了を待たずにポスターは完売。次回公演で再び販売した。「空から眺める」航空写真は、「改めて取り組み方を見直」すラーメンズの目線そのものだったのかもしれない。
「CLASSIC」(資料E)
第13回公演(東京、大阪/03)。前回の「ATOM」終了から約2ヶ月という短いスパンで打たれた公演。何度も言うが、彼らの本公演はすべて新作なのだ。2ヶ月の間に台本を仕上げ、稽古して約90分の舞台をたった二人のキャストで上演してしまうのだから、やはり只者ではない。前回は全6本という過去最少本数で構成され、ひとつひとつの尺は長く、内容的にもメッセージ性が濃い、どちらかというと大人っぽいかんじだったのに対してこの公演は、企画段階でのキーワードでもあり、ビデオのキャッチコピーにもなっている「過去最バカ」という言葉の通りになった。公演は3、4月。春らしい軽やかな笑いの空間。
とあるクラシックホテルを舞台に、それぞれのコントが少しずつつながっているという内容で、実に無教訓、バカで楽しいものだったのだが、劇中「手品オタク」が手品のタネを喋る場面があり、手品のタネは法律で守られているため、ビデオには収録できないという残念なことも。手品師の経験をもつ小林氏は当然このことを予測していたはずで、それでも本公演に入れたということに改めて作品へのこだわりと、「舞台」というものの特異性を感じた。
ポスターは、前述のように板倉氏による銀の箔押しイラストで、クラシックホテルのロビーと思われるシャンデリア、階段やカーテンが描かれている。ゴージャスだけれども、なんとなく可愛らしい作品だ。中央に「RAHMENS CLASSIC」の文字が。こんなにラーメンズの名前が大きく載せられているのも珍しい。タイトルのクラシックは、「伝統的」という意味より、「典型、定番」のほうの解釈で、「“コントの典型を壊す”ラーメンズの典型」という意味を込めてつけられたそう。典型を出したい公演のポスターで名前を大きく出す。ポスターの「RAHMENS CLASSIC」は、「RAHMENS’CLASSIC」と読むこともできるような気がした。
ライブビデオ(資料A、B)
第5回公演以降すべての公演をビデオでリリース。2002年には「椿」「鯨」「雀」「零
の箱式」をDVDボックスセットとして発売。一万円という価格にもかかわらず、売れ行
きは好調。あくまでもライブにこだわるラーメンズがここまでマメにビデオを出すのは、
やはり劇場の敷居を下げるため。「Cherry Blossom〜」のビデオのフライヤーには、次の
ように書いてある。
「チケット買えなきゃビデオがあるさ。
ラーメンズ?知らんなあ。プレミアチケット?(中略)
ふーん・・・いったいどんなことやる人達なの?
それでいい。観ればわかる。」
とりあえずビデオで観てもらって、興味を持ったら劇場に来てください、ということ
なのだ。劇場に導く重要な役割を担っているビデオのジャケットデザインにも、勿論こだわりがある。
「ポスターの制作時点からビデオのパッケージになったときのことまで考えていました。レンタルビデオ店で横一列に並んだ時、シリーズに見えるように、同じ位置にタイトルや発売元の文字を入れています。(略)つまり、それが並んでいるだけでPOPになる。デザインに統一感を持たせることで、この人たちの作品、たくさん出ているね、というのが一目でわかる。(略)そうすることによって一目でシリーズものだとわかるし、メーカーが違っても統一したイメージで見せることができる。ラーメンズ知らない人が何かお笑いでも見ようと思ったときに、こんなにいっぱい出ているんだったら面白いんじゃないかと思ってもらえるのでは・・・」
テレビにほとんど出ないラーメンズがここまで認知され、ファンを増やしている状況 をつくったのはgdcなのかも知れない。なんとなく統一感があるな、とは思っても、そこまで考えてつくられていることにはなかなか気づかない。気づかないところまで気を配ってつくる。大学の同級生だからではなく、プロとして、水野氏にとっては「当たり前のこと」なのだろう。
第3章
フォーカス―――「小林賢太郎戯曲集」にみる彼らの“戦略”
小林氏は、インタビュアーなどによく、「頭いいですね。」と言われている。私もそう思う。頭が良くなければ、あんな秀逸な脚本は書けない。しかもあの立川談志氏にまで、「こいつは頭がいい。」と言わしめたのだ。しかし当の小林氏は、「頭がいいと思われたいだけです。」と言う。小林氏はよく「作品と商品のバランス」という言葉を口にするが、広い意味でのアートを仕事にしている人ならみな、考えることだと思う。そしてラーメンズのコントは作品性が高いという評価が多いが、小林氏は「まんまと騙されてますね。」と笑う。
確かに、舞台を観ていても、「騙された!」と思うことがある。それは単に、コントのオチがどこへ行くかわからない、というのもあるけれど、それだけではないかもしれない。彼の中では凄い作戦が渦巻いていて、観客は作戦通りに掌で踊らされている、そんな感覚。
小林氏は相方の片桐仁氏に台本をみせるまでに、何度も推敲する。彼なりの笑いの公式(片桐氏にも見せたことが無いという。)に当てはめて、直して直して納得したもののみを相方に見せ、稽古をし、完成したものであってもそのまま切ってしまう、つまり発表しないこともしばしばだという。そうして出来た厳選されたもののみを、こだわりの演出によって観客は観る。チケット代も交通費も払っているとしても、観客に見えているのは「商品」ではなく「作品」だ。2002年に出版された「小林賢太郎戯曲集」(資料I)にしても、売れなければ意味がないわけだから商品なのだが、「戯曲集」という演劇や文学といったハイアートっぽさを示す商品を出すことによって作品性を高めているように思える。
この本(「home」「flat」「news」の戯曲を収録。)の装丁ももちろんgdcで、装丁家の高橋剛氏はラーメンズの他の出版物も手がけている。そのどれもが、一風変わった凝ったデザインであるが、ラーメンズのトーンが表れている。たとえば「ラーメンズつくるひと凸(デコ)」(資料H)という、雑誌「クイック・ジャパン」の連載をまとめた本は、カバーではなく帯(本の大きさの約4分の3を占める大きいもの)に二人のバストアップ写真が載っている。珍しく顔が表紙に、と思いきや顔が加工されていて違う。水野氏によれば「ラーメンズをちょっとつくり間違えているという考えでつくったもの、ラーメンズに対して違う見方をしている人たちへのアンチテーゼでもあるんです。」ということだ。今、「もちろん(・・・・)gdc」と書いたが、実は装丁の仕事を広告屋がやるということを私は知らなかった。そもそも装丁とは何か。装幀と書いたりもするがもともとは、@書物を綴じて表紙をつけること。A書物の表紙、見返し、扉などの体裁を作り、外形を整えること。であり、『広辞苑』には、体裁から製本材料の選択までを含めて、書物の形式面の調和美を作り上げる技術。と書かれている。(この解釈が現在の装丁のイメージに近いだろうか。)そして装丁のメインであり、ほとんどすべての本についているカバーだが、もともとは単なる包装で、ほこりや人の手の汚れから表紙を守る為のものだったようだ。返品された本が汚れていても、カバーだけかけかえて新品として出荷できるようにつけられた。だからカバーは買ったら捨てるもの、というのが当たり前だったが、それがいつしか単なる包装でなく、きれいなものを、という広告的効果をもたらすものになったのだ。つまり、本のカバーも広告なのだから広告屋が装丁をするのは当たり前のことなのだ。
中でも「小林賢太郎戯曲集」の装丁は実験的で、カバーにタイトルが印刷されていない。裏が黒で表が白の紙を使用して、タイトルを裏から白い文字で印刷し、表から透けて見えるようになっているが、パッと見はただの灰色の本だ。「小林賢太郎のトリッキーな感じを出したかった」というgdcのアイデアだそうだが、確かに白と黒のモノトーンで構成されているが、シンプルなだけではなく、実験的な要素が入っている様は、ラーメンズの舞台そのもののようでもある。小道具や衣装替えが無い舞台では、物質的なトリックを仕込むことはできない(時々はあるけれど)。それは観るほうもわかっている。目に見えないトリックは確実にあるのに、小林氏は決してタネ明かしをしない。理由は「知ったらつまんない」から。あるとわかっているのに表に出さない笑いの仕掛け。裏から印刷されたタイトルのようだ。そしてこの本にも面積の半分を占める大きな帯がかかっている。黒い帯には白い文字で、
「声に出して読みたい戯曲。小林賢太郎戯曲集。
一度観たら必ずハマる、鋭敏な言葉、独特なリズム、予測不可能な世界。どこにもない新しい「笑い」を緻密に構築する
最注目のコンビラーメンズ 初めての戯曲集。」
と斜めに印字してある。そのため一番端の「声」という字と最後の句点は切れてしまっているのだが、表紙のタイトルより先に帯の「ラーメンズ」という文字が目に留まる。パッと見タイトルの無い本が、帯によってすぐに内容が分かるようになっているのだ。帯を取った状態が彼らの「作品」だとしたら、帯をつけることは「商品化」、つまりサービスにあたるのだと思う。
「作品性が高い」「頭がいい」という評価を軽くかわしながらも、それをアピールするような戯曲集の出版というのは、矛盾があるようにみえて立派な戦略であり、立派なファンサービスでもあるのだと思う。つまり、戯曲集という言葉から連想する、高尚で敷居の高いイメージのものを出版することによって消費者を遠ざけるのではなく、ライブビデオの発売と同じように、「作品」を知ってもらうためのツールとして「商品化」したのではないだろうか。彼らを知る人は、「ラーメンズなら」あり得ると思うし、変わった装丁も「ラーメンズなら」当然、と思うだろう。彼らを知らない人なら、「お笑いのくせに」と否定する人も勿論いるだろうが、「こんなのまで出してるんだからさぞ面白いんだろう」と思う人もいるはずだ。
そして同時に、ジャンルを飛び越える行為でもある。実際「お笑い」というジャンルの中で戯曲を発表している人は極めて少ない。イッセー尾形氏も「お笑い」と呼ぶには微妙な位置だ。それをこの本はタイトルに「戯曲集」とまでつけてしまっている。これは前述のような評価を逆手に取った「頭のいいラーメンズ」を装う行為なのではないだろうか。あるいは、「お笑い芸人」が「戯曲集」を出すこと自体をネタにしてしまっているのかもしれない。では、なぜそのようなことをする必要があるのか。それは多分、素の小林・片桐両氏を隠すためではないだろうか。ラーメンズがプライベートをほとんど語らない、ということは第2章で述べた。「小林賢太郎が“小林賢太郎”を演じているだけであって。お客さんにとっては素に見えているかもしれないけど、結局虚像でしかない。僕は素が全然違う人間なんですよ。だからそれがばれる恐怖というのはすごくありますね。」(小林氏談)様々な活動をするなかで、エッセイのようなものを雑誌に連載するなど、個人のパーソナルな部分が垣間見えることも多くなってきた。それがたとえ虚像だとしても、見たひとには実像にみえることだろう。戯曲集を出すことで、彼ら個人ではなく、もう一度ラーメンズというものをアピールしようとしたのではないだろうか。
この戯曲集には、普通の戯曲で役名が書かれているところに、小林・片桐と本名が書かれている。かれらのコントには役名がついていないものがほとんどだということもあるが、役名があるものであっても、小林「(台詞)」片桐「(台詞)」と書かれているのだ。コントの台本では普通のことなのだろうが、これを見たとき、この台本は「小林・片桐」の二人の為のもので、私たちが見るべきものはここに書かれている「小林・片桐」の会話劇(台詞のない作品もあるが)で、それ以上でもそれ以下でも無いのだと思った。バラエティ番組でトークをするのではなく、彼らはここに書かれている作品を演じる、それこそがラーメンズで、その「材料」を戯曲集というかたちで自信を持って公表しているのだ。この本の「はじめに」の最後には、「楽しみ方は完全に自由です。“なるほど、こんな職業もあるのか。変なの”などと思って頂ければ、これ以上嬉しいことはありません。」と書かれている。そこには「舞台」という限られた空間のなかでマイペースな活動をしていながらも決して閉じない、すべての人に対して常に入り口を開いている一貫した姿勢があらわれていると思う。
ただ、ライブビデオと同じように、この本もまた二次媒体であって作品そのものではないということを忘れてはならない。小林氏のマニュアルにも「舞台は立体である」という項目があるそうだが、文字とは、情報を伝える手段であって、作品そのものではない。授業で山下先生がおっしゃった、「モナリザはルーブルにある。ではハムレットは?」という問題だ。舞台は生身の人間が演じているものなので、毎回違う。台本に書いてある台詞と違うことを喋ることもあるし、観客の笑う雰囲気に合わせて間を変えたりもする。台本があって、観る人がいて演じる人がいる。その時に初めて作品は完成し、カーテンコールの拍手とともにその作品は消える。作品の存在は事実だが、この本のタイトルが表に印字されていないのと同じく、手で触れられるところには無いのだ。
終論
自分の意図を相手に伝えるのは難しい。1対1でも。相手が家族や友人でも。アートとは何か。アーティストとは何か。今でこそ何にでも「アート」という言葉を使うことができ、広く受け容れられる時代だが、昔はそうではなかった。さまざまな分野の芸術家たちは、その意図が伝わらなかった為に、その時代には評価されず、亡くなって何年も経ってから、作品が高値で売買されたりする。もし彼らに、作品を理解してくれる広告屋がついていたらどうだっただろう。たぶん、そんなに大きくは変わらないと思う。良くも悪くも。いつ評価されても、その才能に変わりはないから。ただ、いつかの時代の誰かが、素晴らしい作品を見逃していたのが、少し残念だというだけで。
ラーメンズも、good design companyのデザインがなくてもいい作品をつくり続けられただろうし、gdcもラーメンズを担当せずともいいデザイン会社になれたと思う。でももし、小林賢太郎と水野学が出会っていなかったら、誰かの人生が、少しだけつまらないものになったかもしれない。大げさなようだけれど、確かなことだと思うのだ。
私たちの生活に広告は溢れている。目に入るものはその中の一部分、記憶に留まるものはほんの少ししかない。そして今は、広告と言ってもポスターやCM、CFだけでなく、新しい考え方、在り方が生み出されている。それはもう、コンテンポラリーアートと言ってしまえるほどだ。それが生活に必要かといわれれば、もちろん無くたって生きていける。それでもずっと広告のことを考えて、みんながハッピーになるように、未来が明るくなるように努力している人たちがたくさんいる。お笑いをはじめ、芝居や音楽だってそう。娯楽が無くても人間は生きていけるはずなのに、それを真剣につくっている人たちがいるのだ。私はそれがいいことだと思う。とても人間的なことだからだ。そしてとても平和なことだからだ。
水野氏は言う。「これは僕の仕事の中でも真正面から、一から十までブランディングできる唯一のブランド。ラーメンズは人間だからそういう言い方はおかしいかもしれないけど、商品に自信があるから広告がサポートに回れるいい例でもあるんです。」お笑いの広告を、真剣に、カッコよくつくる。日本に戦争や飢餓があったら絶対できないことだ。ラーメンズ×グッドデザインカンパニーの仕事が続くかぎりは、少なくとも日本は平和でいられるのではないだろうか。
人物紹介 ※本文登場順、敬称略。
片桐仁(かたぎり・じん)
1973年埼玉県生まれ。ラーメンズ以外の主な活動としては、「ヤングマガジンアッパーズ」連載中の「俺の粘土道」で彫刻作品を掲載し、その作品をまとめた作品集「粘土道」を2003年夏に発売。役者としてCM、テレビドラマに出演、出演映画では「MASK DE 41」「犬と歩けば―チロリとタムラ」などが公開待機中である。
小林賢太郎(こばやし・けんたろう)
1973年神奈川県生まれ。ラーメンズ以外の主な活動としては、「ヤングマガジンアッパーズ」連載中の漫画「Hana-Usagi 鼻兎」が単行本となって現在3巻まで発売中。役者としてCMに出演するほか、ミュージシャン・椎名林檎の短編キネマDVD「百色眼鏡」や、映画「ライフ・イズ・ジャーニー」(田辺誠一監督/02)の出演など。
水野学(みずの・まなぶ)
1972年東京都生まれ。1996年多摩美術大学デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業後、パブロプロダクション入社。そのあとドラフトを経て、1999年(平成11年)1月1日にgood design companyを設立。主なクライアントとして、初代フランフランやイデー、アディダスジャパンなど。99年よりラーメンズのビジュアル全般を担当。2002年度JAGDA新人賞受賞。
バナナマン(ばななまん)
1994年、それぞれ別々に活動していた設楽統(したら・おさむ/73年埼玉県生まれ)と日村勇紀(ひむら・ゆうき/72年神奈川県生まれ)が出会って結成。結成の年から単独ライブを行うなど、精力的に活動。作・演出は設楽が担当。ラーメンズとは、ユニット「genico」や「君の席」などで共に活動していた。
松尾スズキ(まつお・すずき)
1962年福岡県生まれ。サラリーマン、イラストレーターなどの職業を経て、88年劇団「大人計画」を旗揚げ、作・演出・俳優をつとめる。97年「ファンキー!宇宙は見える所までしかない」で第41回岸田戯曲賞を受賞。役者として舞台だけでなく、映画、テレビドラマやCM等に出演。小説、エッセイなど執筆業に精力的に、というか死ぬんじゃないかといわれるぐらいに活動。「大人失格」「この日本人に学びたい」「演技でいいから友達でいて」など、著書多数。現在は、劇場公開作品としては初監督の映画を撮影中。
宮藤官九郎(くどう・かんくろう)
1970年宮城県生まれ。1990年より大人計画に参加。以降、俳優として活躍するとともに、大人計画「ウーマンリブ」シリーズでは自ら作・演出も手がける。ドラマ「池袋ウェストゲートパーク」(TBS/00)で脚本家として脚光を浴び、ドラマ「木更津キャッツアイ」(TBS/02)では、平成14年度芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。ほか多数のドラマ脚本に加え、「TV’s HIGH」(CX/01)「笑う犬の情熱」(CX/03)などバラエティ番組の構成にも参加。脚本を手がけた映画としては、日本アカデミー賞最優秀脚本賞をはじめ、映画賞を総なめにした「GO」(行定勲監督/01)や「ピンポン」(曽利文彦監督/02)など。「アイデン&ティティ」(田口トモロヲ監督)が現在公開中で、公開待機中の映画も複数ある。俳優としてテレビドラマや映画に多数出演するほか、パンクコントバンド(・・・・・・・・・)「グループ魂」では「暴動」という名で構成とギターを担当、2002年にはアルバム「RUN魂RUN」でメジャーデビューを果たすなど、多忙を極める。
近藤良平(こんどう・りょうへい)
1968年ペルー生まれ。大学在学中にダンスを始め、96年ダンス傭兵部隊「コンドルズ」結成。男たちが学ランで踊る破天荒なスタイルでダンス界に殴りこみ。演出、映像、振付を手がける「ボス」。2004年新春はコンドルズの南米ツアー、3月からは東京での公演を控えている。楽器演奏、写真、絵画など、あらゆる創作行為を得意とし、コンドルズ以外の活動としては、映画やテレビでの振付を行っている。
モンティ・パイソン(もんてぃ・ぱいそん)
1969年〜80年代半ば、イギリスを中心に活躍した作家兼俳優の男性6人からなる伝説的コメディ・グループ。6人中5人がオックス・ブリッジ卒であることは有名。BBCのテレビ番組“Monty Python’s Flying Circus”シリーズ全45話ほか、映画4本、ステージ・ショー、レコード、本などを発表。70年代半ばには日本でも「空飛ぶモンティ・パイソン」としてテレビ東京で放送され、ビデオやDVDにもなっている。1983年の映画「人生狂騒曲」を最後に新作の発表は無く、1989年にメンバーのグレアム・チャップマンが亡くなり、実質的な活動は停止したが、今なお世界中で根強い人気がある。現在はそれぞれ映画監督や俳優として活躍している。
佐藤雅彦(さとう・まさひこ)
1954年静岡県生まれ。東京大学教育学部卒業後、電通クリエイティブ局を経て、94年独立。湖池屋「ポリンキー」、サントリー「Pekoe」、NEC「バザールでござーる」、トヨタ「カローラUに乗って」他、数々のヒットCMを手がける。90年クリエイター・オブ・ザ・イヤー賞、90、91、01年にはADCグランプリを受賞。98年ゲームソフト「I.Q」で文化庁メディア芸術祭優秀賞、CESA大賞受賞。99年「だんご3兄弟」でレコード大賞特別賞・ゴールドディスク大賞をを受賞するなど、多方面で活躍。同年、慶応義塾大学の教授になる。「佐藤雅彦全仕事」(マドラ出版)「クリック」(講談社)「プチ哲学」(マガジンハウス)その他、著書も多数。
小島淳二(こじま・じゅんじ)
1966年生まれ。ビジュアルディレクター。NTTドコモ映像ロゴ、「ニュースステーション」(テレビ朝日)オープニングタイトル、資生堂プラウディアCM、砂原良徳、キリンジ、hydeなどのミュージックビデオその他、多岐に亘った映像作品の演出を手がけ、その作品は世界から注目される。現在日本におけるトップクラスの映像デザイン集団teeveegraphics代表。03年から小林賢太郎とのユニット「NAMIKIBASHI」も始動。今春小島監督、小林脚本の短編映画「机上の空論」が「Jam Films2」の1作品として劇場公開予定。
参考文献
・雑誌「ブレーン」vol.42/No.1、3、8,12 宣伝会議
・「グラフィックデザインの入り口」
柿木原 政広/林 規章/水野 学 著 ピエ・ブックス
2003年6月20日 初版第1刷発行
・雑誌「広告批評」No.252、274 マドラ出版
・雑誌「演劇ぶっく」No.102 演劇ぶっく社
・「ラーメンズつくるひと凸」
ラーメンズ 著 太田出版
2002年8月31日 印刷 2002年9月6日第1刷発行
・雑誌「クイック・ジャパン」vol.45 太田出版
・「小林賢太郎戯曲集」
小林 賢太郎 著 幻冬舎
2002年2月10日 第1刷発行
・「装丁物語」
和田 誠 著 白水社
1997年12月10日第一刷発行、1998年2月20日第三刷発行
・「BOOK DESIGN」
DTP WORLD別冊 ワークスコーポレーション
・「佐藤雅彦全仕事」
佐藤 雅彦 著 マドラ出版
1996年6月 発行
その他
トゥインクル・コーポレーション、グッドデザインカンパニー、ティーヴィーグラフィックス、大人計画、コンドルズ各公式ホームページ