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配本開始以降の長い旅路  連載第2回 (11.3.4. - 11.5.30.)

「日記」3冊目の表紙には、「日記 3  起 昭和十一年三月四日 新漱石全集」とある。11.3.4. から11.7.17.(金)まで、4ヶ月あまりの記録であるが、連載第2回では、はじめの3ヶ月間、5月末までとする。残りは第3回とする。

この期間で注目されるのは、11.4.6. 岩波書店が、それまで山本松之助所蔵の『心』を買い取ったことである。値段は、「千五百円也」とある。当時の円と今の円の貨幣価値を比べるのはむつかしいが、岩波の原稿料でいえば、10.9.17. 森田草平に関して具体的記述がある。二百字詰め原稿用紙1枚が3円であった。森田は、月報 言行録 毎回10枚分として、1回につき30円を受け取っていた。この30円は、現在なら少なくとも1000倍の3万円か2000倍の6万円程度にはなるであろう。そうすれば、『心』の1,500円は、150万円か300万円程度の安さになってしまう。今オークションに出れば、その100倍、つまり数億円単位になるであろう。
なお、資料の値段については、以下のようなものもある。

10.12.15.(日)〈注:筆跡は長田。日曜出勤といっても要件は以下の如し。10.12.19. 参照〉
○ 玄誠堂に 漱石の書簡を見に行く。
  一、三四郎の題名及び豫告の原稿を書いたもの一、
        ペン書 山房用箋一枚。        原稿作製スミ 年次不詳
    一、虞美人艸に関する端書(官製) 墨書
                                              四〇・七・一九・
                                              原稿編入スミ
    他に 二葉亭四迷 の書簡 墨書 二通
    合せて 四通 を三十五円のよし。
11.5.30 及び 11.6.1で、 『道草』の新聞初出(揃い)の購入価格が、2円となっている。
総じてこの方面の価格は当時まだ安かったのであろう。 

他方、11.5.6. に、元『行人』原稿所有者遺族からの次のような発言も記録されている。

「行人」原稿所蔵者であつた加藤四郎氏の遺族 映氏を 世田谷〈注:以下住所略〉に訪る。

「行人」原稿は、確にありました。丁度十一年ばかり前になりますが、あの震災で焼いてしまひました。残念でした。小宮さんが見に來られた事がありましたが。元々、その頃親父が朝日に居ましたので築地に住んでゐましたが。」
「書簡なども今おありになりませんでせうね」 と
「何も出せませんでしたので」 と。

『行人』のこの件は、平成の新版全集第八巻のどこにも触れられていない。平成新全集版の本文は、新聞本文を底本にし、漢字は新字体にしながらも総ルビ付という奇っ怪な本文になっている。本文校訂のイロハにかかわる問題である。岩波校訂者の知的レベルは、昭和初期よりも退化したとみえる。当時私は、方々へそのことを指摘し、警告する論考を書いたが、20年たっても私の発言は古びていないはず。関心のある方は、私のホームページなどから拙論に目を通していただきたい。

今回の区切りの最後では、俳句の編集に関し小宮豊隆と松根東洋城との間で重要な打合せが行われている。



11.3.4.

○ 色刷口繪 刷上る。

○ 口繪順序決定。
    1   色刷  下七分五リン アキ
    2   肖像  下七分五リン アキ
    3    唐詩  下一杯、一寸四分。


○ 鎌倉氏から電話がある。
    森田・雷鳥問題について漱石の談話がある。
    いかゞ? と。


11.3.5.

○ 口漢會誌 第四號を・さんが下さる。
    人間漱石の内面的發展  林宇三郎  掲載。


○ 神西氏から 原稿「「心」の露譯」が來る。
    〈注: 11.1.31.  神西氏から コンラッドといふ人の「心」の露譯について
  書いてもいゝといふ事を長谷川さんにいつて來たのでお願ひして頂く。(月報に)、
  とあった。〉 


○ 林博氏からの 漱石長野講演に関する資料
    を西尾先生から頂く。
    手紙は表装に出してあるから出來たら送る と。


○ 上田敏氏宛書簡 五通〈五のヨコに三とある〉 加瀨隆一氏のところにある。
    と小林さんからおしらせある。
    新資料 也                        □スミ□


11.3.6.

○ 長田さん 歸京。
    〈注: 11.3.2. 「長田さん 大阪へ出發 水落床兵衛氏所有「坊つちやん」の原稿と引合せの爲也。」


○ 月報用 遺墨集 第三輯を精興社渡し。


○ 信濃教育掲載「教育と文藝」をタイプ
    に打つ。


11.3.7.

○ 月報校了を延ばして明日にする。


○ 「それから」の原稿の所在を 学士會員名簿によりて あてづつほう
    に 三浦直介氏に電話をかけてみる。旅行中で夫人
    の話によれば御所持らしい。十日に又電話をかけてみる事。


○ 「三四郎」の原稿が行方不明になつたので月報に廣告を出す。


○ 坊っちやん の扉の字を書き直して頂く事。
  その時 別冊 も書いて頂く事。 


11.3.8 (日)

○ 長田さん出勤、坊っちやん の原稿作成。

○ 南出勤 月報校了。


11.3.9.

○ 小宮先生から 堤さんに手紙が來て 今度の解説は
  十五日頃に書きます といつて來たよし。


○ 出版届けを書く事を後藤さんに依頼。
    発行日  三月十五日

○ 第二巻の本扉の金版を改版する爲に原稿返却
  方を半七に依頼す。


○ 納本分の函を中田から持つて來る。背文字の
    所が不揃、注意を促す。 


○ 新刊 通報 を出す。

○ 「明暗」切抜を買入れる。


11.3.10.


○ 半七から 扉の原稿をかへして來る。

○ それを持つて狩野(享吉)先生にお願にゆき 別冊
    も書いて頂くやうおたのみする。


○ 第六回分の口繪 三枚半 半七に渡す。 
    一、松山時代 (三寸) 夏目家写真
  一、坊ちやん原稿 (タテ 二寸七分)(一冊に閉ぢたまゝを)備付
  一、色刷水彩畫繪葉がき (ヨコ 二寸五分)備付  


○ 思想 寺田寅彦號 を鈴木三重吉氏に寄贈。


○ 大阪 登美屋 に長田さんが借りて來られた
    猫の落丁本の代りを送る。


○ 出版届けを大森に渡す。
    発行日 三月十五日
    内務大臣 潮恵之助。
    〈注:正しくは、潮恵之輔〉


11.3.11.

○ 狩野先生から 扉の字を頂く。左の二冊分。
      第二巻 坊つちやん外七篇
      第十八巻 別冊
    直に半七に渡す。


○ 鎌倉氏から らいてう問題についての漱石の談話が掲
  載された新聞をかりる。


○ 漾虚集、鶉籠、坊っちやん の奇麗な本をかりる
  事を電話で依頼する。 


○ 三須佳木氏にいづれ拝見に伺ふ旨を葉書で出す。


○ 岩淵健次氏に 肖像頒布につき考慮中なる
    事を返事する。


○ 長田さん 夜 仙台へ出發。


11.3.12.

○ 鶉衣〈注: 鶉籠 のことだと思われる〉 漾虚集 を鎌倉さんから拝借。 


○ 第五回分 入品
  鎌倉氏のみ寄贈。

○ 折り、函はりが悪い。 ので寄贈を控へる。


○ 鶉籠・漾虚集 を冩眞にとるべく 大塚巧藝社
    に渡す。


○ 三浦直介氏に、「それから」原稿拝借依頼の手紙
    を出す。


○ 松岡氏に 鈴木周太郎氏現住所不明につき 「三四郎」原稿
  索の廣告を月報に出した事を、葉書で出す。


○ 半七から 扉金版十一冊分届く。但し 第二巻分は原稿
  誤りの爲つくりなおし。 


11.3.13.

○ 長田さん 朝 仙台から歸京。

○ 「坊っちやん」 原稿 精興社渡し。


○ 特製本で製本の悪い十三冊を作りなほすやう 大森ゑ約束。


○ 市川三喜氏に、第二巻の中で伺ふ事があり、第十三巻を
    もつて行き かくが(か)く島崎さんにお願ひする。〈注: 11.3.16 参照〉


○ 中田に 函の貼方を注意する。


○ 大型正誤表紙型によつて、決定版原稿に書き込み。

○ 第二巻 坊つちやん外七篇、及び第十八巻別冊の扉金版出來。
  半七より届く。


○ 鶉籠・漾虚集 が大塚から帰つて來る。


11.3.14.

○ 第二巻 扉金版 精興社渡し。

○ 仙台の小宮先生から拝借した左記品を長田さんから
    あづかる。
   
    一、戰後の文壇  漱石書込みあり。
    一、渡邊傳右衛門氏宛書簡写し (大正三年十月二十四日)
                                                    □原稿編入スミ□
  一、黒本植氏宛書簡写し(明治四十四年三月七日)
                           □原稿〈作製〉編入スミ□

    右全部新資料


○ 森田氏から電話。木部氏〈注:木部守一〉から月報挿繪冩眞を借りて
    來るやうにと。五高卒業記念写真をかりて來る。


○ 藤懸氏に 鈴木周太郎氏並びに「三四郎」の原稿
    の事をきゝに行く。不在。
    〈注: 11.3.16 の最後の記述参照〉


○ 秋景山水 を夏目家に返却す。


11.3.16 (月)

○ 月報第六號原稿 言行録 精興社渡し。
  同挿絵渡し。(ヨコ四寸) 下段一杯。 


○ 奥付 原稿 渡し。
        昭和十一年四月五日  印刷
        昭和十一年四月十日  發行
    

○ 第六回印刷部数申請
   二萬千五百部。


○ 小宮先生に手紙出す。


○ 倫敦塔 普及版 二二頁 英文 市川三喜先生に
  きく。「テキストによつてちがふけれども、
  全集の時、統一したものであらうから 元のまゝで
  いゝでせう。」 と。 


○ 大學 講義 の時間は 小宮先生の言通り 六時
  間。 (市川先生)


○ 野村氏を通じて 森春吉氏に 一高の講義の
  時間をきいて頂く。

    三五年 ―― 三六年      十五時間
    三八年 ―― 三九年      十六時間
    三七年は正確な記録なし。
   
    講師は大抵十五、六時間で、十七時間と
    いふ事はなかつたらしい と。


○ 西尾先生から 渡邊敏氏宛の書簡を頂く。
    信濃教育會 林 博氏からのもの也。
               (四四・六・二二 付)       □原稿編入スミ□


○ 鎌倉氏 来訪
    坊つちやん 單行本三冊、 坊つちやん團子
    の包紙を拝借。
    月報原稿依頼。 


○ 藤懸氏に電話をかける。御生前は存じてゐました
  が 歿後は遺族の行方も知らず、原稿の所在も知り
  ません と。 


11.3.17.

○ 水落床兵衛氏に 坊つちやん原稿 何枚かを御調べの
    上御報して下さる旨 手紙を出す。


○ 月報 寄贈。

○ 鎌倉氏から拝借した スクラツプブツク 六冊を、返却。
  坊つちやん劇についての執筆を始めた爲、資料
    として御入用の爲と。


○ 三浦直介氏より電話があつて 「それから」の
    原稿(全)を拝借して來る。
    多分 「野分」だつたと思ふが持つてゐたのを 五六年
    前に二つはいらないと思つて賣つて了つた。
    商人を通じて譲つたのだけれど大事なもの
    だからわかるでせう、聞いてあげませう、と。


○ 小品、猫、 各二〇〇 宛儉印 追加。


○ 文學論ノート二冊、同草稿一包 夏目家から
    借りて來る。


○ 印刷部数 決定
  二一五〇〇 印刷    二〇五〇〇 製本 


11.3.19.

○ 小宮先生に手紙を出す。坊つちやん と 猫 の原稿料の事。
    「猫」 ホトトギス 四十頁上段迄 十三、十九 頁半の処途
  中に挿絵一頁。よつて 三十八円五十銭也。
  「坊つちやん」 三九字 十六行 六四五字 四〇〇字にして二三四枚
  @六十五銭強。
  猫(十)二四字 二一行、二段 一〇〇八字 四〇〇字にして九七枚
  @四十銭弱。

  〈注: 朱で後日の書込あり。「一二ノ二四で一四九枚、表題を入れて一五〇枚。 11.4.17      参照」 〉  


○ 奥付校了。


○ 余の諸作と人生觀 の掲載誌を小宮先生からの
  葉書によりて探しに行く。〈注: 次ぎの次ぎを参照。〉


○ 飯山さん、 夜 上野図書館に行く。
  趣味 三九年六月 ― 四〇年一〇月
  早稲田文學 三九年四月 ― 四〇年六月(三九年一〇、一一、一二未済)        中央公論 三九年五月 ― 四〇年一二月
    帝國文學 三九年一月 ― 四〇年四月
    新小説 三九年三月 ― 四〇年一〇月
    新声 三九年一月 ― 四〇年十二月
    中學文壇 三九年八月 ― 四〇年五月
    文庫 三九年二月 ― 四〇年八月  〈注:明治新聞雜誌文庫か。 11.4.6. 参照〉
    國民新聞・讀賣新聞 三九年七月 ― 四〇年一月
    を見る。   
    〈注: 11.3.20. の最後の2項目は、この後へ続く旨、注記あり。〉


11.3.20.

○ 「余の諸作と人生觀」の掲載誌を探しに大橋図
  書館に行く。
  文章世界 三九年三月 ― 四〇年十二月
  中學世界 三九年四月 ― 四〇年十二月
  太陽   三九年四月 ― 四〇年七月

  を見る。「人生觀」はないが、「漱石文學歓談」中
  の 文學断片 が中學世界 第九巻第七號(三九年六月十日)
  發行)・・掲載なる事を発見。タイプ原稿と引合はせ
  すみ。 


○ 松岡譲氏が来店。瀧田氏のところから出た掛軸 漱石直を
    持つて来られる。鑑定(印刻)の爲也。
     

○ 鎌倉氏来店。長田さんと猫のロケーションを見に行か
  る。PCL也。


○ 文學歓談中 「作中の人物」の初掲載が讀賣新聞 三九年一〇月二一日 第五面 なる  ことを発見。 

○ 御降に閑なる床や古法眼  漱石  國民新聞 四〇・一・一
    を発見。新資料らしい。


11.3.21.
〈注: 土曜日。 朱で、春期皇靈祭 とある。〉


○ 口繪の校正來る。


○ 鎌倉氏 六時前 来訪。
  合本 漱石〈注: 思 を消して 私〉慕 八 を持ちかへらる。    


○ 鶴本氏から 月報原稿 來る。
    〈注: 月報 第六號 「漱石先生と松山」〉


11.3.23.

○ 「それから」 原稿 第一頁を冩眞に撮る。
    〈注:この原稿は、漱石自筆原稿のこと。〉


○ 解説原稿 百三十二枚到着。礼電を打つ。〈注:小宮宛〉 


○ 小宮先生か葉書來る。解説を初校で手を入れ
  るからそのつもりで、 と。


○ 「坊つちやん」 組上り。四五八頁。


○ 奥付 刷了 二十四日中 と約束。


○ 「それから」原稿と大型全集と引合せを了る。
    〈注: 大型とは、大正13年版〉


11.3.24.

○ 三浦(直介)氏の「それから」原稿を今日返却する筈だつた
    が、初版との引合せをしたい爲 明日まで有余
    を願う旨電話する。承諾を得る。
    〈注: 3.3.17 参照。まだ1週間前に借りたばかりである。店員らの仕事は早い。なお、月報六号の後書き「事務室から」では、「お宅へ二日間お邪魔し、原稿と悉く皆引合せ嚴重に校訂するを得ました。」等々と書かれている。長田が大阪へ出張したのだが、筆者の経験では、あり得ない速度である。〉


○ 月報トツプ 鶴本氏原稿 四〇〇字二十枚 精興社
  渡し。
    旧松山中學校 (松岡氏分)   ヨコ二寸五分
    同卒業記念  (同   )      ヨコ三寸四分
    を挿繪として精興社渡し。


○ 奥付刷了。


11.3.25.

○ 二十七、八日 儉印に行く事を夏目家に電話、承諾
    を得た。


○ 解説 組上り。本文と全部で 五〇六頁。
    この事を藤森さんに通知。
    〈注: 要所要所でひんぱんに出て来る。 藤森善貢 広告部〉


○ 鎌倉氏 月報原稿 二〇〇字詰 三十枚頂く。その他切抜 と 漱石
    劇冩眞帖を拝借。
    〈注: 月報六號 「巷間の漱石」〉
 

○ 鎌倉氏 夜 来店、先刻の原稿を添削。


○ 「それから」原稿 引合せすみ。


11.3.26.

○ 小宮先生から葉書來る。
    口繪色刷 葉書 のネームは
        自筆水彩畫繪はがき(明治三十八年)
    とせよ と。
    口繪 要再校を出す。

○ 月報 言行録 校正 來る。

○ 鎌倉氏から 「猫」の玩具 十一点をかりて來る。 


○ 解説 を小宮先生に送る。
    〈注: 初校。11.3.23. 参照〉


○ 鶴本氏に入れる挿繪校正出來て來る。
    冩眞かへつて來る。

○ 「それから」原稿を三浦氏に返却す。


11.3.27.

○ 第一書房の伊藤寿一氏、松岡氏の紹介状を持つて、
    漱石冩眞を借りに来られる。
    申出の冩眞、一つは松岡氏になく 一つは きづがついて
    ゐたので、夏目家のと、 編集部のとを貸す。
   
    83. (冩眞帖番号)  夏目家から借りたもの
    89. ( 同    )    編輯部所蔵。


○ 第六回の 倫敦塔、 趣味の遺傳  の初掲載誌
  發行日に誤りがあるのを 長田さん 発見。
  紙型象 にて訂正。まだ両方ともに刷れてゐな
  かつた。  〈注: 紙型象 とは、紙型へ象嵌すること。〉 
    倫敦塔(帝國文學)を飯山さん 図書館にて 実
    見。確かめたり。


○ 第六回配本 坊つちやん外七篇 儉印。        二〇五〇〇 部。


○ 月報 言行録 初校 を森田先生に速達にて送る。
    四行はみ出しを始末して頂く爲。


○ 月報 挿絵 漾虚集冩眞十枚、精興社に
    製版依頼、渡し。
    全部 縱 一寸五分


○ 第一書房に借した冩眞返つて來る。


11.3.28.

○ 猫 玩具 を 大塚〈注: 大塚巧藝社〉へ持つて行つて冩眞をとる。

○ 小宮先生から電報來る。
  解説の校正を今夜送る と。 


○ 森田氏から 校正 來る。

○ 扉 校正 出る。

○ 口繪 校了。ネーム校了。


〈11.3.29. の前にある 11.3.30. の部分〉

○ 月報 言行録 を 要再校 で出す。


○ 漾虚集冩眞製版 出來 校正 來る。

○ 猫 玩具冩眞出來る。大塚から届く。


○ 文學論 圖版 版下 來る。

○ 松井氏 ずっと前の日曜と交換で今日は休。


11.3.29 (日)

○ 西島氏出勤

    第六回本文校了。

    解説 校正 十時頃着。


11.3.30.

○ 先生のところに來た「門」の原稿をかりて 長田さん、西島さん
    南 の三人で区分けして引合はせをする。
    夜九時過まで。
    〈注: 先生とは、岩波茂雄のこと。〉


11.3.31.

○ 「門」引合はせ を引続きする。
    八時頃了る。


○ 中田から 函見本をもつて來る。

○ 鶴本氏から 原稿料の請求來る。
  一金参拾円のところを、経済學辞典代 参拾
  九円に充てるべく 繰上げて、会計に入金と
    した旨 返事を上げる。
    但し 会計の手續は未済。


○ 中巻氏 来店。三四郎 の月報原稿 四月中 と依頼。


11.4.1.

○ 念の爲に 「門」の引合はせ をもう一度 校合。


11.4.2.

○ 函の校正をして返事。坊つちやんの 「つ」 脱落。
    〈注: 実はこの日記でも、当初は、坊ちやん が多かった。いつのまにか、「つ」がはいるようになった。〉


○ 本文刷上り。

○ 玩具冩眞 三枚 精興社渡し。

○ 山本氏から 夜 月報原稿到着。
    〈第六號。PCL 山本嘉次郎 「坊つちやん」と「吾輩は猫である」の映畫化に就て〉


11.4.3.

○ 月報圖版 十枚 精興社渡し。


○ 坊つちやん團子 冩眞にとる爲、しをり、を精
  興社渡し。 


○ 鎌倉氏原稿、山本氏原稿、精興社渡し。


○ 鶴本氏、資料蒐集用 旅費不足分
  一金五円四十一銭也、支拂ひ。(實は昨日、立替。会計は今日) 


○ 文學論 圖版 凸版 〈原稿 を消して〉版下 精興社渡し。
    ・・の版下をやめて 文學論から直かにとる事。


11.4.4.

○ 「行人」原稿所有者 加藤四郎氏への紹介を松
  岡氏に依頼の葉書出す。


○ 出版届執筆を藤森さんに依頼。
  發行日   四月十五日


○ 島崎友輔氏所有の正成論拝借方を島崎
    さんに依頼


○ 五高記念日祝辞原稿の拝借方を池田一幸氏
    に葉書にて依頼。


○ 山本嘉次郎氏に月報原稿礼状出す。


○ 樋口正美氏に電話をかけて、龍峡氏宛書簡
    新資料 拝借方を依頼。月曜日にもう一度
    電話を下さい と。
    〈注: ちなみに、本日は土曜日。正美は、樋口龍峡(秀雄)の息子。書簡は、大正2年2月22日。〉


11.4.4. (土)


○ 口繪順序 決定
    1
    2
    3
    の図と寸法の記載。


○ 外函 校正 來る。もう一度見せる事。「つ」を入れて「外」へ
    つづくところベタ。

○ 「文藝界」を 明治新聞學会から借りて見る
    事を本堂さんを通じて依頼して頂く。
     月曜日までに何とかします と。


○ 原本作成の爲の引合せインク色も決定
                              原稿    赤
                              初掲載   緑
                              初版本   紫


11.4.6 (月)

○ 長村氏 漱石の仕事をして下さる事になつて
    午後から始めて下さる。
    〈注: 長村 忠 のことか。〉


○ 明治新聞雜誌文庫 の西田氏の厚意によりて
  文藝界の三十九年 九・十・十一・十二月號を
    みせて頂く。
    九月號に 「文學談」として 「余の諸作と人生觀」
    があつた。引合はせ済み。


○ 信濃教育會への漱石の書簡 タイプ打つ。
                                                  □編入スミ□


○ 樋口氏に電話をかけたが不在。


○ 「心」原稿 山本松之助氏所蔵 を如長閑氏の話に
    よつて 岩波にて買ふ事に決定。
    長田さんが如長閑氏から持つて來る。千〈両 を消す〉千五百円也。


11.4.7.

○ 池崎忠孝氏に 明暗 原稿 貸与方依頼の手紙
  出す。


○ 樋口氏 電話をかけたが不在。


11.4.8.

○ 小宮先生来店。

○ 松根〈東洋城〉先生に行つて 俳句の分類索引の進行
  状態を伺ふ。
  一通見終つて標をつけた。書生にでも手伝はせて
    □の中に入れるから それを原稿にする爲に書
    き取つてほしい。
    只、季題が一句の中にいくつも含まれてゐる
    場合、季のない句など をどう取り扱ふか
    を小宮先生に相談したい、 と。


○ 東〈西を消して 回?〉永三 井内安生氏から 新資料 改造社
  文藝月報掲載の会心の一編及一切を〈知らせて を削除〉
    〈來 を削除〉、送つて來る。


○ 小宮先生から 篠本氏の五高時代の夏目君の原稿及び
    それに関する書簡を預かる。


○ 黒本植氏宛書簡冩眞を 小宮先生から頂く。
    黒本氏 貸与を決せられないので 大河良一氏が
    撮影して送られたものなり。
    撮影費支辨を申し出でも應ぜられないので
    「能と歌舞伎」を一部寄贈する事になる。
        金沢市〈注:住所以下略〉    大河良一氏
    〈注: 小宮豊隆 「能と歌舞伎」 岩波書店, 1935〉


11.4.9.

○ 大河良一氏に「能と歌舞伎」一部を寄贈。
  冩眞の御礼の爲也。


○ 樋口氏にも電話をかける。御旅行のよし。何も
  言ひ置きはなかつたさうだ。
    二三日に歸京の予定 と。

○ 月報 九時半 校了。


11.4.10.

○ 月報第三號の篠本氏の原稿料、竝びに第五號の
    原稿料 をいづれも現金で長田さんに預ける。


○ 「三四郎」の原稿所有者 鈴木周太郎氏の遺族の住
  所を探しに 市兵衛町〈以下 略〉に行く。甞つて鈴木氏の
    居られた家の現住者 吉野周三氏を訪る。不在 それと
    鈴木氏とは御交際があつたよし。明朝伺ふ事を約して
    かへる。 


○ 門 縮刷・初版 を碧山房から拝借。 


○ 口繪冩眞二枚(但し原稿冩眞は二枚、肖像一枚)半七渡し。
  一、原稿二度刷。 普及版と大きさ同じ(普及版の版を
           使用。)岩波所蔵冩眞。
  一、一高玄關冩眞円形。ヨコ二寸三分(タテ 同)岩波宛冩眞

11.4.11. 

○ 小宮先生 午後来店。
  未決定の口繪を決定して頂く。


○ 鈴木氏の遺族の御住所をきく爲に吉野周三氏を
  訪問、不在。御存じないよし、留守居の人に伝言あり。


○ 小宮先生が全集の仕事をしてゐる人達に鎌倉氏を入れて
    七人を御招待して下さる。末まつ。   〈注: 土曜日〉


11.4.13 (月)

○ 次回 文學論  の奥付原稿 精興社渡し。


○ 寄贈分を発送。

○ 鎌倉氏より電話。PCLの小島浩氏から月報を送つてくれと。
    明日月報は入つてから送る旨御返事する。
    小島浩 麹町区有楽町日劇三階 PCL事務所


○ 鎌倉氏より左のもの預かり。
  一、漱石襍記
  一、 〈空白〉


11.4.14.

○ 小宮先生 来店。三四郎、それから の校訂方針
    を相談
    夜 仙台


○ 奥付 校正 來る。


11.4.15.

○ 松岡氏から来信
    加藤四郎氏は 東朝の校正部長であつたといふ事
    だけしか知らない。と。


○ 夏目漱石讀本(第一書房) 松岡氏から寄贈し
  來る。


○ 吉野氏に鈴木氏の事をきく爲電話をかけたが
    何も知らない。


○ 鎌倉氏から 縮刷本九冊拝借。借用品控帳
  参照。 


11.4.16.

○ 〈注: 11.4.15. の最初の加藤氏の書込と同じ内容を削除〉


○ 東朝の時村氏に電話して加藤氏の事を尋ねる。
  加藤四郎氏は没せられ、嗣子 映氏が左記に
    御住居さるよし。
    世田谷区 〈注:以下略〉


○ 文學論 扉 金版 四ケ 精興社渡し。 


○ 「それから」原稿全部 精興社渡し。
    本文 三七九頁から。  扉 三七七頁から 


○ 月報第六號 寄贈者(定期以外)
    鶴本丑之介  山本嘉次郎  木部守一  小島浩 氏


11.4.17.

○ 三浦〈直介〉氏に それから の原稿をもう一度拝借したく電話
    をかけたが 旅行中。今月末歸京のよし。


○ 水落床兵衛氏から 先生〈岩波茂雄〉宛書翰あり。
    坊つちやん 原稿枚数知らせて來る。
    坊つちやん 原稿本文  一四九枚
    表題を入れて      一五〇枚
  

○ 第七回部数申請
  印刷部数   二一三〇〇
  製本部数   二〇五〇〇   (卸部入用部数) 


○ 木部守一氏に 五高卒業記念冩眞返却。
    書留小包にて出す。


11.4.18.

○ 月報原稿料 計算

○ 三四郎 原稿 全部 渡し。

○ 第七回 印刷部数 決定
    印刷部数    二一、〇〇〇
    製本部数    二〇、五〇〇


○ 奥附 校了。   五日 印刷   十日 發行


11.4.20. (月)


○ 月報第六號 原稿料 発送。

○ 鶴本氏に 経済學辞典代金 領収証 送る。


○ 扉 校了。下二寸七分七リン アキ。


○ 月報 森田氏原稿 精興社渡し。計六段と九行。


11.4.21.

○ 解説原稿來る。二〇〇字 九十枚。礼電打つ。
  直に精興社渡し。


○ 野間氏 月報執筆承諾の旨返事來る。二十五日
    までにつくやうに。 ・・。


○ 鶴本氏から 経済學辞典代金領収書の礼状と共に
    文學論月報に 布施知足氏の(文學論のノートの
    一部より)を書き度いと。布施氏は当時の漱石の
    講義をきいた学生也。
    右につき 小宮先生に相談すべく手紙を同封す。


○ 口繪 校正來る。もう一度 ネームを入れて要校。原稿の方 版の重ね
  方を注意する。
    肖像刷位置決定
   
    〈位置の図〉


○ 文學論初版を鎌倉氏より拝借
  表紙を撮影爲大塚巧藝社に渡す。


○ 鎌倉氏より電話
    小島浩氏から月報あと三部寄贈してくれと。


11.4.22.

〈注: 上欄に、「○ 雨天の爲 大掃除 明日に延期」とある。〉

○ 小島浩氏に月報三部送る。

○ 神西氏に 「心」 露譯の入手方法をきいてやる。


○ 大塚巧藝社から 文學論  初版 かへつて來る。


11.4.23.

○ 大掃除。

○ 野間眞網氏より 月報原稿 「文學論の生れる時代」
    が來る。礼すみ。


○ 解説 再校 小宮先生に送る。

○ 鶴本氏から電話。布施氏のノートの事きいてくる。
    相談中故もう少しおまちをして下さる旨答へる。


11.4.24.

○ 野間眞網氏原稿 「文學論の生れる頃」 精興社
  渡し。圖なし。三段と十九行
    〈注: 11.4.23. では、「生れる時代」となっているが、月報七號で最終的には、「文學論の生れ出る頃」となった。〉


○ 渡辺良法氏に書翰新資料冩眞拝借方依頼の葉書出す。 

○ 小宮先生から 手紙來る。
  一、三四郎の「さうしてすぐ帰つた」 の一句は 削除す
        る事に決まる。
       
    一、鶴本氏に書いてもらつて 其迄の事にするも
    いゝだらう と。先ず書いてもらふ事にして
    電話にて依頼。不在。伝言をたのむ
    四〇〇字で七枚以内。出來るだけ早く書いていつ
    脱稿かその日の御返事を乞ふ と。 


○ 第二回 印税計算 作成。 

○ 神西氏から 心 露訳 について返事來る。
    發行所 〈以下ロシア文字 略〉


○ 次回 三四郎 初校 出始む。  


11.4.25.

○ 月曜日に儉印に行く事を夏目家に電話を
    かけて了解を得る。


○ 小宮先生から 解説校正 來る。


11.4.26.

○ 西島さん 文學論 校正の爲に出勤。   〈注:本日日曜日〉


11.4.27.

○ 鶴本氏から 原稿來る。
    野上〈豊一郎〉先生に見て頂くべく 島崎さんに預ける。


○ 第七回 文學論 の儉印に行く。
    印税小切手持参。一枚にして行つたので三枚に
    書き直すべく持ちかへる。


○ 文學論 表紙 焼付 來る。

○ 瀧原流石氏より 研究資料としての逸話
    東朝紙掲載 についてを送つて來る。 
    明暗切抜 も御所蔵のよし。


11.4.28.

○ 松岡氏から 加藤氏住所に関する端書(加藤正夫紙の)
  を送付し來る。
  礼状出す。 


○ 瀧原流石氏に逸話の切抜拝借方依頼。 〈注:個人の住所略〉 


○ 三浦氏より 「それから」 原稿拝借。
  三十日夜にならないうちに返却約束


○ 文藝懇話會 四月號 購入
    夏目漱石との論争    大石泰蔵
   右論文(書簡新資料)掲載。


11.4.29.

○ 西島・長村・長田氏出勤。
    文學論校正の爲也。


11.4.30.

○ 「私の心とその環境」 を鎌倉氏より拝借。
    布施知足氏の 「講義振り」の引用をみる。
    鶴本氏原稿は殆どこれに同じ。
    早速鶴本氏へ返却すべく封筒に入れてゐたら
    鶴本氏の使 大本氏が来て、原稿料をくれ と。
    原稿と一緒に手紙を持つて帰つて頂く。


○ 西島・長村 両氏 青海出張。

○ 神西氏から葉書。 「心」露訳を例の友人に依頼
    して下さつたよし。


○ 森田氏 月報の原稿を御願ひ 承諾。
    七日の朝、四〇〇字六枚。
    〈注:言行録とは別に、七號に載った「お恥づかしい話 煤煙事件の後」〉


○ 「それから」原稿を三浦氏に返却。漱石遺
  墨輯 一部 御礼に持参。

○ 本文校了。


11.5.1.

○ 口繪刷上り。

○ 八日刷上りといふのを交渉して六日中に上げて
    もらふ事にする。
    これでやつと十五日配本に間に合ふ。


○ 森田氏から 校正かへる。

○ 野間氏 再校出る。


○ 鶴本氏 来信。
    マードツク先生の事、 沙翁當時の舞台  を
    知らせてくるが 既に当方では〈入れ を消して〉発見してゐる。
  

○ 松岡氏から 来信。
    加藤四郎氏の遺族のことをしらせてくる。


11.5.2 (土)

○ 松井さん 今日から 教育辞典の方へ。
    〈注:松井義秀。 『教育學辞典』全5巻、1936.5  - 1939.9 のことだと思われる。〉


○ 鶴本氏に返事出す。


○ 中村国治氏に 三大政治家 見つかつか時でよければ
    お取次するよし返出す。
    〈以下、個人住所略〉


○ 文學論表紙冩眞 精興社渡し。
    ヨコ 一寸八分五リン      タテ (約)一寸三分


11.5.4. (月)

○ 「心・道草」 儉印追加  二〇〇部。


○ 森田氏原稿 七日朝頂きたい事 今日葉書出す。


11.5.5.

○ 鎌倉氏より 左の書寄贈し來る。
    覚書 第六輯   漱石の異本朝日組替版について   鎌倉幸光


○ 森田氏に葉書出す。
    月報原稿 七日朝 頂きに行きます。


11.5.6.

○ 「行人」原稿所蔵者であつた加藤四郎氏の
  遺族 映氏を 世田谷〈以下住所略〉に
  訪る。
  「行人」原稿は、確にありました。丁度十一年
  ばかり前になりますが、あの震災で焼いて
  しまひました。残念でした。
  小宮さんが見に來られた事がありましたが。
  元々、その頃親父が朝日に居ましたので
  築地に住んでゐましたが。」
    「書簡なども今おありになりませんでせうね」 と
    「何も出せませんでしたので」 と。
   

○ 「行人」初版、初掲載〈注:朝日新聞〉と引合はせる。


11.5.7.

○ 森田氏 月報の原稿 四〇〇字七枚 頂く。

○ 「行人」 原稿のことを松岡氏に報告する。

○ 口繪 順序 位置 決定

 〈1  肖像  2  原稿  の位置関係を示す図が描かれている。〉


○ PCL 映画 「吾輩は猫である」 を 鎌倉氏 及び
    漱石編輯部一同でみる。(日本劇場)


11.5.8.

○ 月報校了。


11.5.9  (土)

○ 奉天の水城氏(読者)に 肖像冩眞
    配布に関する返事出す。


11.5.11  (月)

○ 出版届け 大森製本所に渡し。
     發行日  昭和十一年五月十五日

○ 月報昨日刷上り。

○ 月報 製本所渡し。
  

○ 瀧原流石氏より 難波電化課長の談話の切抜
    送つて來る。礼状出す。
    同切抜は撮影すべし。


○ 新刊通報出す。


○ 杉田氏より 葉書來る。同氏提供の書簡新資料
    のうち無封筒であつたものゝ封筒を発見のよし。
    冩眞撮影の依頼狀を出す。
    〈注: 杉田正臣(宮崎市 住所以下略) 日記に、杉田作郎氏宛書簡並に俳句 新資料提供者とある。〉 


○ 第八回 本文 組上り。   七五四 頁


11.5.12.
〈注:この日は、どういうわけか、11.5.11. のくり返しが多い。〉

○ 瀧原流石氏より 難波電化課長談話切抜
    送つて來る。
    撮影して返送する旨 礼言を一緒にいつてやる。 

○ 新刊通報出す。

○ 杉田正臣氏より葉書來る。
    同氏提供の新資料書簡の中、封筒のなかつ
    たものを発見のよし。
    冩眞送付方依頼の手紙を書す。


11.5.13.

○ 池田一幸氏より
  五高創業記念祝辞の原稿は送られ
  ないから、と冩眞にうつしを添へて送つて
  來る。
  礼状すみ。
    

○ 第八回の奥付 校正を出す。

○ 第八回の印刷 部数を申請す。
    卸部入用部数  二〇、三〇〇
    印刷部数    二〇、八〇〇  


11.5.14.

○ 第七回 文學論 今日から入品。

○ 寄贈 すみ。

○ 第八回 三四郎 それから が校了になり初める。

○ 第七回の箱の紙がちがふのがは入つてゐたので
    中田製函を呼んで調べさせる。
    紙は同じだが裏がへしに印刷したよし。
    五〇〇ばかりあるといふ事。
    注意をする。


11.5.15.

○ 森田氏 第八回の月報用 言行録の
    原稿 催促の葉書出す。


11.5.16 (土)

○ 第八回の印刷部数 決定
  二〇、八〇〇 部


○ 印刷決定部数を精興社の青木氏 と 藤森
  さんに報告。


○ 奥附校了
      六月五日  印刷
      六月十日   發行

○ 文學論ノート 二冊 草稿一括 夏目家へ返却す。


○ 夏目家より 日記 断片 その他 二十六点 借用。
    目録は別記借用品控帳にあり。 


11.5.18 (月)

○ 彼岸過迄 初版本 を鎌倉氏より借用。

○ 三四郎の口繪として 三四郎素材を冩眞にうつす。
    キャビネ二枚。


○ 月報 言行録原稿 森田氏より來る。礼状出す。 


○ 古川氏より 昨晩 索引カード 及び 評論雜誌の傍線引い
  たものを持参する。受け取る。


11.5.19.

○ 杉田正臣氏より 新資料書簡三通封筒の冩眞
  送り來る。


○ 世田谷区〈注:以下の住所略〉 富岡甲子郎氏より
  野間眞網氏の住所問合せ來る。
  返出し。 


○ 〈注:左記ノートから始まるこの項は、いったん消されて、翌日そのまま再記載。〉


11.5.20.

○ 左記のノート 製版の爲精興社渡し。
    第五號   十二   (一)
        第一號   十五   (三)
          三號   十四   (二七)
          四號   三十五  (四)
          二號   七    (十五)
        第六號   壱    (二)


○ 左の字 本版を依頼。九ポ半に。
  Ⓐ 1  Ⓑ 4  Ⓒ 1 Ⓓ 1 Ⓔ 2 Ⓕ 1 Ⓖ 1
    吾○ 6   物○ 3   男’□ 2   女□ 2   男○ 3   女○ 3  女’□ 1  男□ 1    計 三十一本。 


○ 月報第七號 原稿料 計算 発送。


○ 中谷宇吉郎氏来店。月報の原稿 旅行の爲 書けない。
    それでは来月號にお願ひします。承諾。


○ 月報第八回 言行〈鎌倉 と書き削除〉録 精興社渡し。


11.5.21.

○ 口繪用 ノート冩眞來る。但し、綴月と紙端が
    うつつてゐないので 又とりなほし。


○ 瀧原〈流石〉氏から送つて來た研究資料を冩眞にとる。  


○ 三四郎 それから の表紙をうつしにやつてゐた
    初版本が大塚巧藝社から返つて來る。


○ 小宮先生 今夜十時五十分の汽車で仙台発の電
  報來る。


○ 鎌倉氏 夜来店。


11.5.22.

○ 小宮先生 来店
    配本順一部変更。別紙添付のとほり。
   
〈注〉:まず最終的な配本(奥付)を以下に示し、今回の変更部分をその下に示す。
   
1     第4巻『虞美人艸』『坑夫』               (10.10.20 但し実際は、10.10.25)
2     第8巻『心』『道草』                               (10.12.5.)
3     第10巻『小品』                                   (11.1.7.)
4     第1巻『吾輩は猫である』                          (11.2.10.)
5     第13巻『評論』『雜篇』                            (11.3.10.)
6     第2巻『坊ちやん』 外7篇                        (11.4.10.)
7     第11巻『文學論』                                 (11.5.10.)
8     第5巻『三四郎』『それから』                       (11.6.10.)
9     第15巻『日記』及び『断片』                       (11.7.10.)
10    第6巻『門』『彼岸過迄』                           (11.8.10.)
11    第14巻『詩歌俳句』及び『初期の文章』  附 印譜        (11.9.10.)
12    第12巻『文學評論』                                     (11.10.10.)
13    第3巻『草枕』『二百十日』『野分け』                      (11.11.10.)
14    第16巻『書簡集』                                       (11.12.10.)
15    第7巻『行人』                                          (12.1.10.)
16    第17巻『續書簡集』                                     (12.2.10.)
17    第9巻『明暗』                                          (12.3.10.)
18    第18巻『別冊』                   (第18回配本 昭和12年4月10日)
19    第19巻『總索引』                 (最終回配本 昭和12年10月10日)


日記に貼り付けられた「別紙添付」によると、変更前は、以下のようであった。
10回配本が   第7巻『行人』
15回配本が   第9巻『明暗』
17回配本が   第6巻『門』『彼岸過迄』

〈注: 但し、手許の資料をみると、当初もくろんでいた配本順は、これ以外に何度も変わっている。同時に数巻分の作業を行っているので、これが可能になるのである。〉

○ 口繪ノート冩眞及び 三四郎 それから 初版
    表紙冩眞來る。


○ 口繪原稿 半七渡し
    三四郎 素材ノート二頁を一枚に組みつけ。
    〈三四郎素材2枚一組とそれから原稿の図が2点描かれている。〉


○ 口繪 これだけでは寂しいので小宮先生に相談。
    明朝決めよう と。


○ 月報 小宮先生 執筆して下さるよし。
    〈注:月報第八號 「三四郎」の材料〉


○ 第九回配本 日記断片の原稿 一 ― 五八 頁まで
    精興社渡し。


○ 第八回 扉金版 精興社渡し。


○ 第八回 解説原稿 小宮先生 持参さる。
  直に精興社渡し。
  今日中に組上げるやう依頼。少し無理ならん
  と。 


○ 第八回分の儉印 二十五、六日両日 行く事を
    夏目家に諒解を求め、承諾さる。


○ 〈瀧原〉流石氏から借用の研究資料(新聞切抜)
   冩眞焼付け來る。

11.5.23. (土) 


○ 第九回 日記断片の原稿残り全部 精興社
  渡し。

○ 圖版寸法変更通知。


○ 圖版残り三ケ分(大型全集一冊)渡し。  


○ 第八回 解説 組上り。總頁 七九二頁。


○ 函見本 中田〈製函〉に依頼。


○ 口繪変更。それから の原稿トツプ。三四郎 の豫告原稿
    (新資料)を色刷で出す。
    二つとも ヨコ 三寸 にして(原稿用紙の枠の中)、一頁を原稿
    用紙全部とみるやうに。


○ 口繪の爲、三四郎 豫告原稿を半七の藤原氏に渡す。


11.5.25  (月)

○ 儉印。

○ 森田氏来店。月報第八號の原稿料 竝びに
    第九號用本代 計五十円をさし上げる。


○ 「それから」の口繪冩眞 あれではいけないよし。
  三浦氏からかりるべく電話をかける。不在。


○ 野間氏から 月報原稿料 領収書送つて
  來る。


○ 日記断片用圖版 校正來る。
  二、三 間違つたものがある。

○ 解説 再校 小宮先生に送る。


11.5.26.

○ 三浦直介氏から それから 原稿第一冊を拝借。
  口繪の爲なり。
    直に半七の藤原さんに渡す。


○ 儉印 終了。

○ 出版届用紙 二十枚に 夏目家の判を貰つて來る。

○ 五月分 印税計算書 提出。

○ 日記断片に入るべき圖版 校正 來る。原稿返して來る。
  寸法の間違ひ、製版の間ちがひ等あり
  青木氏に渡すべく整理。


○ 鶴本氏から 長田さん宛書簡を使ひ持参。
    資料と照合の爲 既刊全集をみたいから
    使者に持たせてくれ、代金は来月五日に支拂ふと。
    長田氏不在につき お取り計らひ申しかねます、御らんに
    なるのなら 当方までおいで下されば いつでも
    御便宜はかります。 と 刊行會の名刺に書いて
    使の人に持つて行つてもらふ。


○ 本文校了(解説を除いて)


11.5.27.

○ 解説 校正 送つて來る。

○ 松根〈東洋城〉を伺ひ 俳句 索引 の原稿を頂く。

一、一句に二題以上あるものをどうするか。主題だけか、各題に重複させるか。

一、前書のあるものをどうするか。

一、誤植らしいと思はれるものをそのまゝ許して入れる
  方針か。

一、俳句集にある題は 在来の季題以外に設けたのがある
    が それは用ゐない方がよささうだ。それぞれの
    氣節の内にまとめて置いた方がいゝと思ふ。
  
一、作品中の俳句は入れないとしても 思ひ出す事など
    にあるものはどうするか。
   
    等問題があつた。

 季題の順序をきめなければいけないから
漱石の句に出てゐる題だけを拾つて、  〈注: 四季 を消す〉
それぞれの季に分類して來てほしい。
承諾して全集の入手本を頂いて來る。  〈注:入手本 とは? 手入れ本のことか〉


○ 夏目家に印税を届ける。 


○ 鎌倉氏の左の二品返却。飯山さん 持参する。
  一、漱石成績表
  一、森田事件掲載 東京朝日新聞。 


○ 扉 校了

○ 日記断片の圖版送りなほし 原稿精興社
  渡し。


○ それから 原稿半七から返却し來る。


○ 三四郎 豫告書簡も半七から返つて來る。


○ 口繪用紙を 藤森さんに探してもらふ事を
  依頼す。


11.5.28.

○ 口繪用紙決定
   グラビア・     三色刷(それから)
   A模造紙      三四郎  


○ 日記断片 初校出初む。
  
○ 三四郎 それから の解説 校了

○ 三四郎 豫告書簡 半七の藤原さん に渡し。

○ 解説 校了


11.5.29.

○ 小宮先生 来店。

○ 月報原稿 小宮先生から頂く。
    直に精興社渡し。

○ 中谷氏来店。寅彦宛書簡控 渡し。
    普及版 三四郎 渡し。


○ 口繪ネーム 決定
    「それから」 原稿の一部
    「三四郎」 豫告(玄耳宛書簡)


○ 口繪刷位置決定
    出來上り     下 9分 アキ (上一寸)
    左右出來上り      中央(五分アキ)
    〈注:その旨の図がある。〉


○ 半七の藤原さんから 三四郎 豫告原稿 返却し來る。

○ 鎌倉氏から電話。
    四十一年十月の 新潮 に
    何故に小説を書くか の回答がある 筈。
    実見せよ と。
    〈注: 店員は、さっそくこれを調べて、メモ用紙を添付してある。この新潮「特集」、(回答)アリ とある。〉


11.5.30.

○ 小宮先生来店
  松根氏も来店。
    お二人で俳句の新資料の整理をして頂く。
    その結果 右の問題が出る。
   
    一、草枕の俳句は入れる事。(タイプに打つて松根氏に届ける事)
   
    一、海南新聞をもう一度調べる事(松根氏か
    彼の地の知人に依頼して引合はせなり
    冩眞をとるなりして居るよし。原稿タイプ打つ
    たものを松根氏まで届ける事)

    一、綿入きたろ〈?〉 を再調する事。冩眞なら
     いゝ し、松岡氏にも聞いてみるといゝ。

  俊案と… は發行年月を作成年月と
    する事。
   
    一、野村傳四氏の結婚祝のふくさの俳句は、野村氏に
    きく事。小宮先生も冩眞を持つて居られまして、
    未亡人にも聞いてみる事。
   
    句集原稿の小宮先生以外から出た
    ものゝ出所をきく事。野上先生。
   
    一、虚子の雑の句の作成年月日を虚子にきく事。
   
  一  一里あまり、    一里ばかり    は、
    
          一里あまり 〈注: と書かれ、ルビの位置に  イばかり  とある〉 
  
    とする事。
    索引の方では だまつてゐて 松根氏のいふやうにして頂く事
   
    一、 春水に足をひたすや一二寸  は消す事。
   
    一、俳句の出所が書簡でありながら書簡集と
        ちがつてゐるのがあるが それ抔は全部書簡集
        による事。
       
    一、歳時記は、俳諧堂の新修歳時記がいゝと。
   
    一、句集の初版を求めて 句集の正誤を確める事。
  

○ 小宮先生からとして 中谷〈宇吉郎〉氏に 手紙を書く事。
  今度の月報は 日記断片 の月報であるからそれに関
  聯を持たせて書いて頂きたい。新聞と 初版との
    相違は多分寺田氏の趣意で書きかへたのだらうといふ想像
    だけで確かな事はわからない事。〈注: 朱で スミ○ 6.1  とある〉


○ 圖版校正(改版 その他の分)來る。
    ノート二冊同時に返却し來る。

○ 鎌倉氏から 電話がある。
   道草の切抜を 衣笠さんが買つて置いて
      下さつた と。
      代金 二円 のよし。
      明後日 二円 を持参して鎌倉氏まで頂きに
      行く旨返事する。


 〈以上、11.5.30 (土)までである。〉