配本開始以降の長い旅路――連載を前に
前回の「配本開始まで」は9回連載し、5冊の日記中の1冊分と2冊目のはじめ少々、10.10.29. までを記録した。日記全体の1/5余りであるが、内容的には決定版・編集日記の核心部分をなす重い内容であった。そこでここまでを前半として区分し、これ以降を後半とする。日記は最後までここへ収めることにする。
ただ「最後」とはいっても、この日記に本当の意味の最後はない。本来なら、最終配本までを見届けるべきであるが、その意味では「未完」である。2年間続いた通常の日記のつけ方では、12.4.6.(火)で終わっている。(後からの覚書が、5月11日まではある。)
自転車操業さながら、なんとか、
第十八巻『別冊』(第18回配本 昭和12年4月10日)
までは月1回のペースを維持したが、
最後の第十九巻『總索引』(最終回配本 昭和12年10月10日)
においては、ついに当初の予定よりも半年遅れの配本となった。
しかしこれはしかたがない。もともとが無理であって、なにしろこれほどの規模の索引づくりは、彼等に未体験である。今でこそ、コンピューターを使って索引など一発でできるが、しかし、今生きている私などでも、若い時は、1件ごとに1枚のカードをつくり、それを項目ごとにまとめるマニュアル方式でデータの整理を行っていた。それ専用のカードやボックスが市販されていた。しかし、漱石全集は、その量が半端ではない。
できあがった『總索引』は、りっぱなものである。小宮その他の漱石関係者よりも誰よりも岩波の長田ら店員チームの功績である。
新連載は、10.10.30. からであるが、その前に決定版全19巻の配本順と配本日(奥付通りには進まなかったが)を改めて確認しておきたい。〈注: なお、ここに示す実際の配本日は、長田が全19巻配本の終了後、別冊の「編集雑録」へ明記したものはそれに従う。日記中の配本日より1、2日遅れている場合がある。〉
1 第4巻『虞美人艸』『坑夫』 (10.10.25 奥付 10.10.20)
2 第8巻『心』『道草』 (10.12.10. 10.12.5.)
3 第10巻『小品』 (11.1.14. 11.1.7.)
4 第1巻『吾輩は猫である』 (11.2.17. 11.2.10.)
5 第13巻『評論』『雜篇』 (11.3.13. 11.3.10.)
6 第2巻『坊ちやん』 外7篇 (11.4.11. 11.4.10.)
7 第11巻『文學論』 ( 11.5.10.)
8 第5巻『三四郎』『それから』 ( 11.6.10.)
9 第15巻『日記』及び『断片』 (11.7.15. 11.7.10.)
10 第6巻『門』『彼岸過迄』 (11.8.14. 11.8.10.)
11 第14巻『詩歌俳句』及び『初期の文章』 附 印譜 (11.9.14. 11.9.10.)
12 第12巻『文學評論』 ( 11.10.10.)
13 第3巻『草枕』『二百十日』『野分け』 (11.11.13. 11.11.10.)
14 第16巻『書簡集』 (11.12.14. 11.12.10.)
15 第7巻『行人』 (12.1.13. 12.1.10.)
16 第17巻『續書簡集』 (12.2.14. 12.2.10.)
17 第9巻『明暗』 (12.3.13. 12.3.10.)
18 第18巻『別冊』 ( 12.4.15. 12.4.10)
19 第19巻『總索引』 (12.10.16 12.10.10.)
次に、よく出てくる主な出入り業者は、
印刷所が、精興社。その所在地から、青梅「へ行く」 といった書き方もする。青木さんがここの社員。
製本所は、大森製本と寺島製本。刷り部数をほぼ半々ずつ引き受けている。
田中半七製版所。単に、田中とか半七となる場合も多い。藤原さんはここの社員。
中田製函所が、単に 中田 と書かれるのでまぎらわしくなる。ここへは外函製作を依頼している。
大塚巧藝社 口繪などの写真撮影を依頼している。単に大塚ともなる。
新田封筒店 最終段階の 12.2.23. 以降、肖像冩眞入れ用等でひんぱんに登場する。
人名では、藤森さん(善貢 ふじもり・よしつぐ 1915.?.?. - 1985.11.16.)が特にひんぱんに登場するが、岩波の店員で広告部。出版届なども担当する。後、岩波書店調査室長。後半では、後藤〈栄蔵〉さんに代わる。
堤さんは、堤常(つつみ・つね 1891.3.1. - 1986.1.24.)後岩波書店会長
長田さんは、長田幹雄(ながた・みきお 1905.3.1. - 1997.4.10.)後岩波書店専務
西島さんは、西島九州男(にしじま・くすお 1895.1.10. - 1981.10.11.)後岩波書店校正課長
日記に名前の出てくる店員は、他に
南 いま
堀 久
宮沢勝二
近藤 幸
松井義秀
飯山正文
島崎菊枝
長谷川 覚
長村 忠
長田小枝
後藤栄蔵
さんなど。
なお、日記には、「原稿」が、全集の印刷台本の場合と、漱石の自筆原稿の場合の両方で使われており、時に紛らわしいので、文脈から注意して区別されたい。後者では、たとえば、
11.3.23. ○ 「それから」 原稿 第一頁を冩眞に撮る。
11.8.19. (水) ○ 松木喜八郎氏から 草枕 原稿 拝借 (11.8.29. も参照。)
前者では、11.9.5. (土) ○ 大村西崖氏宛書簡タイプ原稿を、決定版原稿に挿入。
11.9.15. (火) ○ 草枕原稿全部 精興社渡し。
さらには、3日連続する
12.1.15.
○ 「明暗」 原稿 大型 一 頁 より 二二二 頁まで 精興社渡し。
12.1.16.
○ 「明暗」 原稿一部 精興社渡し。 大型 二二三 頁 ― 三五〇 頁
12.1.17. (日)
○ 「明暗」 原稿引合せ
のうち、最後の12.1.17. だけが池崎忠孝氏から拝借中の自筆原稿である。