配本開始まで 連載第8回
10.10.9.
○ 田中整函所に 函の原稿を送る。
〈注: この田中は、中田(製函所)の誤記。今後、田中(半七製版所)とともにひんぱんに出てくるが、まぎらわしいので注意されたい。〉
○ 精興社に 第一回配本 第四巻 の奥付原稿渡し。
○ 堤、長田、藤原、藤森 四人で 見返し・扉アートを
決定す。
○ 鎌倉氏より電話があり、長田さんが訪問。
一 大八州学会雑誌巻之四十五 一冊(故人來 掲載) □編入スミ□
一 池邊吉太郎様宛書簡(瀧田貞治氏藏) □編入スミ□
右二品を拝借し來る。
○ 松岡氏来店。月報十八号 各巻の執筆者選択
をお願ひし承諾して下さる。
山房収蔵書 四十年頃のノート を借りて頂く事を依頼
借用願を差上げる。表紙の原稿の中に入れる冩眞を探して頂く事を依頼。
10.10.10.
○
一、田中政秋氏宛書簡
一、飯田政良氏宛書簡
右二品を田中政秋氏より拝借(長田さんが訪問して
右二品を冩眞にとる。) □新資料ナラズ、原稿と引合スミ□
(注: なお、この時に渡した「拝借證」を、翌日返却してもらい、日記に添付)
○ 口繪の頁の冩眞を田中製版に渡す。
○ 狩野先生の扉 十冊分頂く。第四巻 と 第十巻分
を田中製版に渡す。
○ 十六日 刷了を精興社から報告あり。
○ 小宮先生から 月報の原稿來る。一緒に 自筆の講師解
職願を送つて來る。
○ 函 見本 組んで來る。
10.10.11.
○ 森田氏 月報の校正を森田氏に送る。
○ 口繪一枚 (明治四十年撮影)を校了にする。
○ 小宮先生から送つて來た解職願を持つて 長田さんが
寺田先生を訪問。口繪に入れる事に決定。
○ 夏目家から 収蔵書二揃。四十年頃のノート
一冊を長田さんが夏目家に行つて借りて
來る。坑夫の分をみるつもりだつたがこれには出て
ゐない。
○ 虞美人艸のカツト及び、切抜最終頁、 艸合、虞美人
艸表紙 冩眞 出来。
○ 田中政秋氏宛書簡、飯田政良氏宛書簡各
一通づつ(合計二通)を田中政秋氏に
返却
(注: 返された拝借證を添付)
10.10.12.
○ 豫約届を後藤さんに届けて頂く。
○ 函を校了にした。厚みも字も配りも。
○ 森田氏から校正が返って來る。
○ 鎌倉氏 夜 来店 内田恵宛書簡(三十九年一月)(斉藤昌氏所蔵)を
持つて來て下さる。 □原稿編入スミ□
○ 松根氏から電話あり。
○ 本文校了
10.10.13.
◎ 一つの担え 1,405 1,33 1,105
鈴木氏 虞美人草 の桐箱の寸法
飯山さんが大塚に行つて漾虚碧堂印を写し、出來てきて、
◎ 漾虚碧堂印 校了。
藤原君と望月へゆき更に店にて織見本まつ。
○ 埼玉縣北足立郡芝村大字芝 二三の一
織物製造行〔店印〕矢作晴生
決定。
◎ 河野與一氏へゆき 切ぬき借用。
10.10.14.
◎ 青地商店、スチールケース決定依頼。
一百十円也。
〔ケースのサイズを記した図〕
○ 口繪 講師解職願を半七に渡す。ヨコ二寸五分。
扉 六回配本分まで半七に渡す。
○ 大(鵬 の朋と鳥を左右逆にした漢字)堂に行つて 婦人世界(つな子氏冩眞)を
探したがなし。ホトトギス二十三冊購入。幻影の盾
があつた。
○ 解説 校了。
10.10.15.
○ 森田氏から月報第二号の原稿が來る。
○ 小宮先生から 十三日付の手紙が來る。口繪辞表のネームは
「辞表」だけでよい。次の月報に
は寺田先生に書の事を書いて頂く事。
それがだめなら 御多佳さん か 西川一草亭に。
漱石十一才の時の作文の事。
矢本氏へ索引用全集を送る事。
十一月三日上京を飛ばして 九日にする事。
○ 小宮先生から 十四日附葉書來る。
漱石詩集二冊送つてくれ。
石原健生氏が校正をしたい といつて來た と。
○ 虞美人草原稿 口繪校正 來る。
○ 漱石筆 池邊吉太郎氏宛書簡 瀧田貞治氏所蔵
及び 内田貢氏宛書簡 斎藤昌三氏藏を
鎌倉氏に返却。飯山さんが持参した。
10.10.16.
○ 宮沢さんが 宣伝の事報告のため 森田氏を訪問。
そのついでに 昨日到着した月報第二號原稿料
金参拾円、竝、三號月報執筆費用 交通費 金
弐拾円也(夏目家のたてかへ)計金五拾円也を
持つて行つて頂く。
第二號月報用冩眞(おふささんと夏目家の家族を
一緒に撮影したもの)の周旋を依頼。
さうしてくれ、冩眞は夏目家に伺つてみる、と
いふ返事があつた。
○ 口繪 辞表 ネーム を半七に渡す。
扉の銅凸は明朝精興社に届けるよし。
○ 本文 冊 了
10.10.17.
○ 口繪 全部 校了
○ 扉の銅凸 來る。 第一回分だけ精興社渡し。
○ 鎌倉氏より左記のもの一冊借用。飯山さんが借りに行
く。坑夫の事をみる爲である。
一、趣味 第三巻 第二號 一冊
學燈はみつからなかつたよし。
○ 堤さんから 春陽堂 和田利彦出 松岡譲氏宛手紙
をあづかる。 ついでの時 松岡氏に返してくれと。
文面は左記のとほり。
〔倒産の経緯、立て直せるので、今後ともよろしく、との10月12日付。詳細は省略〕
10.10.18.
○ 口繪順序をきめて藤原さんに報告。
一、 肖像 二、 家 三、 原稿 四、 辞表
○ 扉 刷 見本をみる。
○ 月報を二十一日午前中 に校了にしなければならぬと。
○ 漾虚碧堂 の印 三個 出來
○ 芥川の讀者に 内容見本と一緒に月報第一號を入れる
事。その爲に 一万五千に加える事 六千部。
増刷の事。
10.10.19.
○ 松岡氏のところに行つてゐた。 河路甲午郎氏、鶴本
丑之介氏の書簡二通を、松岡氏の使者が持参された。
第八州學會雑誌も一緒に。
○ 午前中 長田さんが夏目家に挨拶にゆき つゞいて
小林 の二人が儉印に行く。 六時頃まで
かゝつて全部 一萬五千 を済まして帰つて來た。
10.10.20.
○ 長田さん と 南 来店。
○ 新資料欄 ネームの整理をして、精興社に
明日一番で渡すやうにする。
○ 神泉の第一頁 及び (注:空欄) の冩眞を原田さんに
うつしてもらうやうたのんで置いたのが 夕方 來て下さ
つたよし。
あまりおそいので 長田さんが写してくださる。
○ 注: 〔製本入品報告あり〕の数行は削除してある。翌日、再記入。
10.10.21.
○ 出版届を寺島製本に頼む。
○ 禀告〔注: ひんこく 月報16頁〕冩眞を精興社に返しすみ。
これで月報第一號の原稿全部 返した事になる。
○ 小宮先生に 月報一揃(第三號 欠)と漱石 詩集 印譜
附を一冊だけ送る。
一緒に矢本氏分 全集一揃を送る。但し、十一巻 文學
論、 第十二巻 文學評論 を抜いて。これは前に届けて
あるから。
○ 製本 入品報告あり。
二十四日午後 受持の 1/2 を大森から入れる。
二十五日朝 残りを入れる。
寺島も大体同じで、二十五日朝に全部入れ終る。
10.10.22.
○ 月報 校了 午後三時四十五分
○ 刊行會の領収証を依頼。
○ 同じく刊行會の送票をたのむ。
○ 内容見本執筆者 竝びに刊行會員に 内容見本二通
づゝ送る。 挨拶の葉書を添へて。文面左の如し。
謹啓 先般は御多忙中にも拘らず漱石全集推薦の辞を頂戴致し
難有く御礼申上げます。御原稿掲載の内容見本只今出來
致しました取敢へず御送り申上げます 何分御高覧下さいませ
先は右御挨拶まで 敬具
十月二十二日
漱石全集刊行会
但し、寺田寅彦、松根豊次郎、鈴木三重吉、和辻哲郎、狩野享吉
竝びに夏目家へは長田さんが順次届けて下さる事になつた。
○ 下の印をつぶして 漱石全集 刊行會 の印を
ほる事を應明堂にたのむ。
〔注: 「岩波書店出版部」(7文字 18ミリの真四角)の朱印を二回押してある。〕
○ 月報を八時から刷り初めて、十二時の深夜等をし、
八千を當夜の中に刷る。残り二千は明日おひる
頃受け取りに來てもらひたいと。
「5冊の日記の1冊目は、第1回配本直前のここまで、次回は2冊目となる。」